気配

寒がりの後輩が、長袖のカーディガンを羽織りながら「寒いですね」という。開けた窓から吹き込むのは、湿気てはいるものの、さやかな秋の風だった。朝晩がずいぶん涼しくなったので、これであっけなく夏が終わるのかもしれない、などと話していると、もう一人の後輩が神妙な面持ちで「9月と10月は台風が多いそうですよ」という。なんでも、6月に台風があまり発生しなかったからだそうである。「1年で台風の数の帳尻合わせてこなくていいのにね」というと、「空にある、台風製造所の予算の関係じゃないですか。予算が少なかったから、6月は少なめに台風作ったんだけど、予算が存外あまったから9月10月急いで作らないと決算がまずいんですよ」と答えるものだから、みんなでケラケラと笑い、始業を迎えた。すっかり秋だな、と、かしましい私たちの笑い声の裏で、上司が静かにつぶやいた。

秋が来た。どれだけ残暑が厳しくても、9月という暦に入るとたちまち気分は秋である。いつのまにか、町には秋色のものがあふれている。秋味のものがあふれている。私は薄手のニットが好きだ。あの手触りが好きだ。ウール、カシミア、綿、なんでもいい。シンプルに着こなしたい。ワイドパンツやミモレ丈のスカートなどを合わせて、ただただシンプルに、たとえば秋の風に似合うように着こなしたいのだ。秋は、それができる。暑すぎず、寒すぎず、秋の風に合う服を着たい。そういう人で、いたい。

そして、秋は、いつもどこか足りない気持ちを掻き立てる。
仕事があって、かわいい後輩がいて、優しい恋人がいて、満ち足りているはずなのに、秋の夕暮れや風のにおいや町のざわつきに身を置くたびに、心のどこかに何かがはまっていないのだろうかと、どこか自分に足りないものがあるのではないのかと、不安になる。せせこましくなる。そうしていつも、ひどくからまわってしまう。
でも、春ほど居心地が悪いわけではない。春は、その寂しさを許してくれないが、秋は寄り添ってくれる。別に、寂しくてもよいのだと、足りなくてよいのだと、撫でてくれる気がしている。

仕事帰り、一人くらい駐車場を歩いた。秋の風が頬をかすめていく。秋の気配が私を包む。ひどく寂しい、やはり何か足りない気がしたのだが、ふう息を吐くとしずかに肩の力が下りて行った。

秋の風に合う人で、いたい。