金魚の墓

先日、母が浮かない顔をしていたのでどうしたのかと尋ねたら、飼っていた金魚が死んでしまったらしかった。この家に住み始めた頃から、我が家の玄関には金魚鉢が置いてあって(常滑焼の大きな陶器の鉢だ)、そこにはいつもホテイアオイが浮かび、金魚が数匹泳いでいた。一番最初に、ホームセンターで買った金魚は確か「和金」という種類だったように思うけれど、私は母ほど熱心に金魚の世話をしていなかったのでよくわからない。このほど亡くなった金魚は「ジャパネスク」というのは知っている。その前は「きんとと」という種類だったはずだ。でも、今思えば「きんとと」という種類がいるのか怪しいので、どうかと思うが、母は「きんとと」を二匹飼い、区別がつかないのに「きんちゃん」「ととちゃん」といって喜んでいた。その次の代であり、このたび亡くなった「ジャパネスク」も最初は二匹だったのでそれも「きんちゃん」「ととちゃん」と呼んでいた。ジャパネスクは体の模様で個体が区別できるので、本当に名前らしさを帯びていた。

「ジャパネスク」の一匹は大分前に死んでいて(それが「きんちゃん」か「ととちゃん」かは私は知らない)、もう一匹はずいぶん長生きだった。屋台や、ホームセンターで売っている金魚は短命だと方々で聞くが、母は金魚を育てるのがうまい。「ジャパネスク」の生き残りは、最初は頭と尾ひれまでで五センチぐらいだったのに、先日金魚鉢を覗いたら十五センチぐらいになっていたので戦いた。生物の成長はときにおぞましく感じる。

「ジャパネスク」の横っ腹には小さなこぶがあって、病気で死んだと思ったので「死因はなんだったの」と母に尋ねると、彼女はとても悔しそうに眉をひそめて「跳ねて、飛び出していた」と言った。昔は近くの野良猫にかき回されて死んでいた金魚だったが、最近は自発的に飛び出て死ぬことが多いらしい。えげつない死に方だなあ、と思いながら、少しほっとする。仮に、「ジャパネスク」が随分長生きして、母よりも長生きして、でもきっと私よりは長生きしないだろうから、「ジャパネスク」が死んだら、それがどんな死因であれ、私が拾い上げたりすくい上げたりして埋めなければならない。それをしなくて、ちょっとほっとしたのだった。金魚は苦手だ。鱗が、苦手だ。死んだ魚のような目、というけれど、生きていても、魚のような目、は、死んでいると思う。そうして、母に埋められてよかったなあ、お前、と、心で花壇に埋められたらしい「ジャパネスク」に語りかける。墓標はない。代々の金魚が眠る花壇で、「ジャパネスク」も眠っている。

ちなみに母はメダカも飼っているが、これらは白い大きなバケツと青い半透明のバケツにいれられている。メダカは増えに増えて、きっと何匹も死んでいるのだろうが、母は気にならないらしい。私も、メダカの死体を見たことはない。たまに雨による増水で流されているのだろうが、その分、どんどん卵がかえっている。母は毎日、水を替えている。彼女に育てられる生き物は、ずいぶん幸せだろうと思って、やっぱり私はほとする。