わたしのために

人はとどのつまり、自分のためにしか生きられないのだと思っていたし、今でもそう思っている。結局人は、独りでいるということをやめられない。人は物理的な意味でもその人一人で完成されていて、入れ物に守られた心もまた、外に出ることはできない。外に出ることができたとしても、自分の思考が相手の思考にたどり着くこともないし、その逆もない。自分のことをよく知っているのは自分だし、よくわからないのも自分で、すべて自分で完結するのだと思う。誰かと関わりを持って生きていることで、影響はあってもそれを良い方にとるか悪い方にとるかも、やっぱり自分次第で、途方にくれることもある。自分だけだ。喜びも悲しみも怒りも涙も是分、自分のものだ。

でも、たまに、本当にたまに、わたしのために泣いてくれる誰かがいてほしいと思うときがある。やるせないこともありえないこともわかっていても、わたしのために泣いてくれる人がいてほしい。ぼんやり、願う。

先日、友人が誕生日だったのでプレゼントを送ったらお礼のメールが届いた。その文章がこうしめくくられる。

「貴女が今日も、笑っていられていますように」

涙が出るほどうれしくて、わたしはどうしようもなくて立ち尽くした。わたしの笑顔を願う人がいてくれる。泣いてくれることよりも、なんて尊いのだろう。

単純だけど、ねえ、わたしは、そういうことで生きているんだよ。