おそうじしましょ

仕事で嫌なこととか上手く処理できないことがあるとすぐに顔に出てしまうし、頭が真っ白になってしまう。上司や他課の担当者が言うことはわかるのだが、それをアウトプットするのが苦手なので、誰かに相談するというのができない。アウトプットができないというのは引いてはインプットもできていないのだろうから、言うことがわかる、というのは語弊があるのかもしれない。
自分がそんなだから世の中の社会人は須らくすごいと思う。先輩も後輩も、つまりは私以外の社会人。

自分なんて本当に虫けらのようだと思う、が、そんなことを言ったら虫けらにも失礼だから自分なんて本当に私のようだ、というのが、私にとっては最大の貶し文句だ。それぐらい、今は自分のできそこないぐらいにうんざりしている。

そのときには最善だと思った処理も、今となってみると他の方法があったのかもしれない、ということがあった場合に、でも、もう過ぎてしまったのだからこれからやれる最善の方法を取っていけばよい、というのはわかるのだが、それでもそのときの本当の最善の方法をとることができなかった自分が愚かしく、できそこないの感がどんどん強まる。きっと、最善を選べる人はいつもどこでも最善を選ぶのだろうし、こんな風にうじうじなんてしない。仕事だけじゃなくきっと人生の大事な局面でもそんな風なんだと思うと、できそこない、という名札の一つでもつけておいた方がいいのでしょうか。ああ、とんでもないできそこないの私です。自分を責めないとやってられない。

ある人の知り合いで、自分は仕事ができない、と思い始めると掃除をはじめる人がいるらしい。掃除は目に見えて成果がわかるし自分が自信を取り戻すにはいい方法だろう。私も今日は掃除をしたくてたまらなかった。掃除をすればゴミ箱をひっくり返しもしなければ汚れることなんてない。綺麗になる。こんなできそこないの私でも、本棚の間に積もるホコリぐらいは綺麗にできるだろうから、できることがある。はずだ。きっと。たぶん。

たぶんね。