プラスチックの神様

もうなんでもかんでもプラスチックだったらいい。偽物だったらいいんだ。この体以外つくりものなら。でも、この体だって細胞でできたつくりものだ。本物、なんて、どういう了見なんだ。

感情が、プラスチックの箱に入っている気がする。中から取り出せたらそれはきっと綺麗なまま保存されている。でも、プラスチックの箱に入っているから、触れられない。見るだけだ。匂いも手触りもプラスチック。それはじゃあ偽物だろうか?私にはわからない。

なんどもなんども思考のループを繰り返す。誰かの心に触れたいと願うあまり、傷つけたいと考え、結局傷ついたのは自分だから、やっぱり相手に尽くしたいと思って、恐る恐る近づいても、やっぱり心には触れられない。みんな、プラスチックの箱に入っているのか。私には、そういうふうに見える。目が曇るほど、プラスチックの箱は鮮明に見えるのだ。たぶん、私がプラスチックの眼鏡をかけているからかもしれない。

もし、神様がいるのなら、別に今更生まれを良くして欲しいとか、お金持ちになりたいとか、夭逝したいとか、有名になりたいとか、そんなことは願わないから、ただ、私のことをプラスチックの箱にしまわないでほしい。そして神様、あなたも、プラスチックにならないでほしい。

生の匂いがほしい。生の手触りが欲しい。生のこころがほしい。生きている本物はいつも、わがままだ。