漫画の80~90年代

何故俺が価値観にこだわるか少し話す。
俺のオヤジは古い価値観で育ち、自分の価値観以外を認めないようなオヤジだった。
それでも俺が漫画読んだりすんのは諦めて邪魔したりはしなかった。そこは一人の趣味人として対等に見てもらっていたのかもしれないね。それでもどこかで俺はこの人とわかり会えないんだろうなーって思ってた。
それである時、俺が机の上に当時新刊だった銃夢6巻を置きっぱにしてでかけてしまった。
帰ってきた俺は洗濯物を取り込もうとベランダに出てふと俺の部屋を見た。そこには真剣な眼差しで銃夢を読むオヤジがいたんだ。読み終わった時の楽しそうな顔!
だからって別に直様仲良くなったわけじゃない。ただ俺が見てるアニメをきちんと批評して、時には興味を持ったりした。
大友克洋のMemoriesなんて結構お気に入りだったみたいだ。得に最臭兵器と大砲の街がお気に入りだったみたいだね。
たった一冊の漫画がそれにつらなる他のモノへの興味を切り開いた、その瞬間を覚えている。

前に書いた駄文で、「漫画、アニメ、ゲーム」と三つ並べたけど今にして思うと実はその中で一人仲間はずれがいるんだ。
漫画は長いことサブカルチャー未満の扱いを受けながらも、多様性を持ちつつ一つの文化として成熟していった。
それは一つのソフトとして受け入れられていったアニメやゲームとはちょっと違う成立をしたように思えるんだね。
とはいえ、前半部分は多分そこまで間違っていないと思う。
のでちょっと気になる部分を掘り返してみよう。

80年代位からオタクカルチャーが実は成立していた事実をちょっとスルーしていた。当時の世間の価値観から言えば彼らは差別されてけれども、彼らは彼らなりの価値観に基づいたコミュニティを形成していた。
そうした層が形成されたことでこれまでにない流れが生じていたのは確かだ。
子供向けの少年、少女漫画に青年以上の層が読む劇画やビッグコミックの流れが存在した所に、それらに当てはまらないジャンルが誕生した。
それはコミケの形成などが証明していることだね。それが80年代半ば以降のそれまでのジャンルにないコミック誌の創刊に繋がる。
少年漫画を卒業したけど、青年漫画は好みではない、という高校生~30歳以下がターゲットだったのだろうか。

例えば先駆けとなったコミックコンプや少年キャプテンは同人の文脈に沿った雑誌であったと言えるだろう。個人的に一番好きな作品はあさりよしとおの『宇宙家族カール・ビンソン』や安永航一郎の『海底人類アンチョビー』だが、それらはメタギャグやパロディが散りばめられた傑作だった。
当時のギャグ漫画というのはパロディ文化が隆盛していた時代だった。例えばジャンプで掲載されていた人気作『ハイスクール奇面組!』もパロディギャグ漫画だったね。
そうしたパロディ漫画自体について語るのは本稿では避けよう。ここではそのネタの傾向に目を向けてもらいたい。メジャー誌に載っていたパロディはやはりネタも一般的なモノ(テレビを見ていれば通じるレベル)だった。

88年のコミックコンプの創刊を皮切りにこれまでにないジャンルの漫画雑誌が創刊される。それらはコミケ文化の文脈を取り込んだ漫画雑誌と言える、のかな?
そうした流れが90年代初頭~中頃までの雑誌創刊ブームと繋がり様々な漫画家のデビューと大きな需要を作り出す事に成功した。
そしてコミケもそうした商業漫画の作家達の受け皿となり、少しづつ変容していく事となった。

もう一つ、漫画の価値を世間に知らしめた要素がある。それは『なんでも鑑定団』だ。
この番組は様々な薄暗い話もあるが、さしあたり漫画の金銭的な価値を世間に一番知らしめた事だけは間違いがないだろう。それはオタクの価値観が世間に知られた事。それと同時にこれまではせいぜい思い出の品物でしか無かった怪獣のソフビ人形が凄まじい高値で取引されている現場を目の当たりにしたわけだ。
バカバカしい話だが、それに金銭的な価値があると分かった世間はこれまで子供向けであると蔑んでいた品物でも金銭を軸とした理解を示す事になる。

こうした流れと並行して内田春菊らのアーティスティックな方面での漫画の評価、というのも忘れてはいけない事だ。
みうらじゅんに代表されるサブカルチャー的な文化人達の活動と相まって、それらはテレビでも度々紹介されたりしていた。

そうした流れが漫画全体のレベルを上げていったのは間違いがない。
90年代に度々目にしたのは『電車の中で少年誌を読むサラリーマン』だ。
そんな子供みたいなものを読むな! みたいな投書があった、と話題になっていた気がする。
思えばあれは潮目であったのかもしれない。
漫画を人前で読むことを恥ずかしい事と思わない大人達の登場。
それから00年代以降は割愛しよう。

80~90年代において起こった流れをざっとまとめてみよう
1、オタク向け漫画文化の隆盛
2、古い時代の漫画の再評価
3、大人向けサブカルチャーとしての漫画の定義付け

まず、1の流れは多くのこれまでにないタイプの漫画が生まれ、評価される事となる。例えば大友克洋や士郎正宗等現在でも評価される漫画家達はこうした背景なしには生まれ得なかったと思う。
2の古い時代の再評価は連綿と続く漫画の歴史を形作る上で欠かせないものだろう。そして同時に様々なリバイバルが行われ広い世代に漫画の再普及が行われた。例えば当時のコマーシャルにおいては手塚治虫や石ノ森章太郎らのキャラクターが多く使われていたことが懐古的な漫画ジャンルの形成を示している。
3においてはマスメディアの露出に耐えうるサブカルチャーを形成することが出来た。合わせてこの流れがデザインとしての漫画キャラクターの流行の発端となったと思う。東京電力という大企業が『でんこ』という漫画のキャラクターを用いたのは特筆すべきか。

総括すれば、古い時代から連綿と続く漫画の歴史と合わせて幅広いジャンルに分かたれた漫画という文化は多くの読者の批評に晒され、洗練されていく。それと同時にサブカルチャーとして漫画を文化とみなす動きがあり、後年へと繋がっていくこととなる。
これらの流れが漫画というものに比較的広い世代に共通する価値観を持たせるに至るわけだ。
それに付随して海外での漫画やアニメの評価が流入してきたのも00年代付近だった。
それは以前から実はテレビ局が世界中にアニメを売り捌いてきた結果だったのが面白いはなしだ。

そうした流れのけ結果、今我々が見ている状態となっているわけだが、それらは平坦な道のりでも誰かの目論見によりなされた事でもなく複雑に絡み合った状況が産み出した結果と言える。
しかし、この流れがなかったとしても漫画というソフトの実力があれば遅かれ早かれこうなっていただろうことは間違いない。

もう少し特筆すべきはオタクカルチャーの本質というべき部分にも少し触れたいところである。
以後のnoteにてそれは書くかも知れない。

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