ガンダムおじさん、ガンダムを語る

この子の歌うRE:I AMが良すぎて、ふとユニコーンについて考えていました。
まったく上の子とは関係のない話なのですがね。
この文章は読まなくてもいいけど、↑は聞いて行ってくださいね。

血まみれのユニバーサルセンチュリー

実際の所、ユニコーンが出るまで見落とされがちだった点がありました。
それは『一年戦争の前も争いはあった』という所です。
それが分かるところが実は色々あります。
例えば、
『一年戦争前から圧倒的な軍備があった』
『地球上の様々な場所に大規模な軍事基地が存在した』
『一年戦争開戦後大ダメージを受けた連邦は即座に防衛や生産に移行できた』
といった所でしょうか。

それ以前はグローバリゼーションの流れにのれなかったテロリストや分離独立派との紛争が主だったものだったのでしょう。
そう。地球から国境や民族という別をなくそうとしても無くならなかった世界なのです。
地球連邦というものが必要とされた背景は是非リカルド・マーセナスの演説を聞いてください。
皆の希望により生まれたわけではない。だから、連邦はみんなが喜んで受け入れないのは誕生前から運命付けられていたんですね。
その挙句が宇宙と地球の対立すら招いたという、絶望的に上手くいっていない世界なんですよね。

もしも、アムロがいなかったら

ユニコーン関連の話を見ていると『この後にF91やVがあると思うと…』という言葉をたまに見ます。
確かにその通りですね。ガンダムがこれまで紡いだ物語は無力なのでしょうか。
ちょっと名作ライフイズビューティフル(昔のですよ)を見習って、それぞれの主人公たちがいなかった世界を考えてみましょう。
恐らく、それぞれの主人公達がいてもいなくても戦争という事態はとまらなかったでしょう、
もし、アムロがシャアに出会わなかったら? CCAで彼を止める事は出来なかったでしょう。
もし、カミーユがいなければ? シロッコはその後も生き続け連邦は内紛により瓦解していたかもしれませんね。
もし、ジュドーがいなければ? ネオジオン紛争は地球封鎖という事態になったかもしれません。
彼らの存在は細やかだったかもしれませんが、事態を少しずつ良い方向に運んだのは間違いありませんね。

ユニコーンの後の話/原作ではどう描かれているのか

ところで、原作の小説には実は上記のような言葉に対してあらかじめ用意されていたと思しき箇所があります。それはバナージがユニコーンと一体化したときのビジョンです。
『後にラプラス戦争と呼ばれることになる騒乱は、一瞬の光の中に流れ去る。
ジオン亡きあとの連邦の静謐は四半世紀と続かず、新たな反動勢力が起こっては消え、宇宙と地球の両方に戦乱の炎を走らせる。』
さすが、∀の小説を書いた人ですね。争いはこれからも続いていく、なんて分かっていたんですよ。

これは原作にもアニメにも書いていない個人的な意見です。
連邦という強力な勢力に対しては反動勢力も強力になるしかなく、その結果がジオンだったりコスモバビロニアだったりするわけです。
そんな人間性を否定するような(ジオンは当初は違いましたがここではザビ家以降をさします)強大な化け物が現れたときには
『地球の空を、火星の大地を、木星の衛星を覆う永久凍土を、《ガンダム》の遺伝子を持つモビルスーツたちが疾駆する。』
とあるように、化け物と戦う者の前にガンダムの子孫達が現れるのでは、と思うわけです。
そう考えると福井先生の考えたユニコーンという物語に置けるガンダムの在り方が理解できるような気がします。

結局のところはガンダムが好きだという話

ユニコーンがバナージに見せた最後のイメージは
『破壊と再生のくり返しの果てに、長い休眠を必要とするようになった地球。数千年後の復活を見届けるべく、地球と月で緩やかな繰り返しを紡ぐと決めた人々を残して、スペースコロニーの群れが地球圏をあとにする。
中略
光差す水面を目指す魚の群れのように。その向こうに存在する「次の世界」、ここではないどこかに通じる虹の彼方を目指して。』
そう、∀の時代にはもう人類は遠い世界へ旅立っていたのです。
勿論ここでバナージが見た光景はその可能性に過ぎないものでした。
時代の都度に現れる化け物を倒し、その可能性をつなげなければならないのは確かなんですね。
だからカーディアス・ビストはバナージに言ったのでしょうか
『内なる可能性を以て、人の人たる力と優しさを世界に示す。
今を超える力、可能性という内なる神を。』
もしかしたら、UC世界で可能性を紡ぐ入れ物がガンダムなのかもしれませんね。
いえ、そうであってほしいと私は思っています。

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