19/11/09における「花譜」の観測についての更新

最近の神椿の動きを見てると思うところがありまして。
おそらく彼らは単純に楽曲をプロデュースする集団ではないだろうことは既に明らかですね。それは皆も感じていると思うのですが、じゃあその大目標はなんぞや、というと漠然としているんですよね。何故、何故、と思うところがちょいちょいあるわけで。
その漠然とした感覚を折角なので記すことにしてみましょう。何事も言葉にする努力を放棄してはなにも伝えられないし、何よりnoteには👎ボタンがないですからね。

1.VTというハンデ


漠然とした感覚はこの前ふと、「やっぱり花譜さんのデビューには意味だか目的だかあっての事だろうな」と思った時に湧いたんですよね。
以前にも所感で書いたんですが、彼女をあのタイミングでデビューさせた意義を問えば、当時隆盛していたVT界隈で活動することは一定の集客が見込めるだろうことは明確でした。が、実はそれ以上のハンデも負っていることに当時の私は気がつきませんでした。
賢明な彼らならばその逆もわかっていたのではないでしょうか。「VTで在るが故に負うハンデ」の事を。
この世の中には凄く残念な現実があって、どの年代にも一定層「アニメ的なものを嫌う人」達がいます。その人達はちょっとでもアニメキャラチックであるだけで拒否反応を示します。
その上、VT界隈というのはまだまだ狭いわけで。
だからもし、プロデューサーが算盤を弾いたならば一番堅実な道は他のボカロPみたいな売り方をすれば良いわけです。花譜さんはアバターを被る事で商売としてあえて不利になっていると言えます。
と、いうのも私が最近カラオケ屋に行って何気なく人気リストを見ていたときに、半年前にリリースされた某ボカロPの楽曲がランクインしてあったのを見てそう思うに至ったんですな。

今の時代の面白いところは歌手>作詞家、作曲家ではないところですね。ボカロPの場合はP>歌手という図式が成り立つわけです。だからカンザキ氏の楽曲をアニメチックな女の子に歌わせるより、おそらくは顔のない歌手としてデビューさせた方がより多くの層に受けたことでしょう。
花譜さんなくして観測の歌はなかったという前提はさておいて。

2.原点


その上で再度あの時の言葉を思い出す必要があるでしょう。
彼らの言う純粋なアーティスト活動、というのが単純に「歌手は歌うだけ、聞かせるだけ」というものではない事がわかるんじゃないでしょうか。
何故ならそれを一番簡単に実現できて且つ商売としても勝算があり、その上技術的な努力もいらない道を彼らは選ばなかったんですな。何故か。

所感を書いた当時の花譜さんの活動は私がそう誤解しても仕方のないものでありました。が、今となっては当時とは状況が変わってきているわけで。彼女はライブを行い、僅かながらも彼女の言葉で語り、VT界隈へのアプローチも増えています。

そうした変化やP氏の言葉を再度吟味すると、「花譜」というプロジェクトのテーマが見えてくるかもしれません。

3.独盲、象を撫でる


私の知見などは無明に等しいものです。あくまでこれはそんな私の盲想です。
不可解というイベントでのブレイクは要すれば「曖昧、不確かな場の創造」でありました。
ライブという体験、舞台という作品、演者の曖昧な存在。それらを経験した我々共犯者の心の揺れ動きまでもあわせて一つの作品と私は理解します。
それは曖昧さや不確かさに価値をつけるものでした。
ならば、「花譜」のテーマはリアルとバーチャルの壁の破壊、ではなく「曖昧で不確か」ではないでしょうか。だから彼女の素性はある程度明かされていると思うのです。

彼女は実在でもあり、またバーチャルな存在のだというために。

今年の「花譜」を私なりに総括するならば、
リアルであるかバーチャルであるか、その問いを無意味なものにした、でしょうか。


4.解釈違いの同担拒否


(最近この言葉を覚えました。オタクとして大分長生きしたと思いましたが、まだまだ知らん事ばっかりですな。)

あわせて、昨今花譜さんが彼女自身の言葉で語る場面も増えてきました。
そうなると、当初のイメージとかけ離れたものになる事もあるでしょう。
これを量子力学的に言うと「観測者問題」と言います。嘘です。誤用されがちな言葉は慎重に使いましょう。
19/07/31までの観測記録しかもたない者と現在進行形で観測している者の間に齟齬があったとしても、「花譜」という総合芸術はどちらも正解をだします。

また「花譜」は彼女と=ではありませんし、また彼女は花譜さんでもありません。
すべてを総合すればどれか一つとは遠ざかります。

だから、観測者それぞれが持っているデータは概ね(悪意を持って曲解しない限りは)正しい、と私は思います。


5.拡張される現実


花譜さんと神椿の新プロジェクトを見ていたらふと思いました。
彼らは「花譜」で示した曖昧さをもっとすすめているのではないかなと。
当初の花譜さんのMVは非現実的なものでしたが、今年の中盤位からは現実を背景としています。
あわせて彼らの新プロジェクトな「市」とついている事。

それらを踏まえて彼らは私達の現実を拡張する事が目的ではないかと考えます。

或いは最終的には私達の現実の裏側/合わさった形での仮想=現実の実現でしょうか。
少なくとも「市」という規模の言葉をわざわざ使う意味はあるのでしょうね。


6.言い訳めいて


まだまだ彼らの展望は私ごときには見えないところが多く、この文章もP氏の言葉を重なっていて意義に疑問があります。
しかもまだまだ進行形なものでまたアップデートは繰り返さないといけないのでしょうが、年末の動きに向けて一つの区切り的な意味で記しました。
観測とは断続的に続けなければ意味がありません。偉大な発見はそんな勤勉さとともにあった事を忘れてはいけません。
まぁ何の成果がなかったとしても、私が花譜さんにできることは花譜さんに言葉を捧げる事くらいです。受け取り拒否はできません。

さしあたり、3.5Dの前に今思うところをしるしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?