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ジョナン派に伝わる「深甚なる法流百八の教え」

ジョナン派 クンガー・ドゥルチョク師(AD1507〜1566)はカカ・ジェツンタンバ法王の前世者です。師がまとめたこの
「深甚なる法流百八の教え」は、成就の八法流という、ニンマ派のゾクチェン・カダム派の道次第・サキャ派の道果(ラムデ)・マルパカギュー派のマハームドラー・シャンパカギューのニグマの六法・シチェの五道とチュー・ジョナン派とシャルプトゥン派のカーラチャクラ(六支瑜伽)・ウゲンの三金剛をはじめ、チベットに伝わる顕教・密教の教えを網羅したもので、ジョナン派だけでなく、ゲルク派のダライラマ法王猊下にも伝わっている教えです。

ターラナータ尊者もそうですが、クンガー・ドゥルチョク師も帰敬偈は短めで、この教えもすぐに本題に入る著作です。

今回はその顕密共通の前行の意訳です。

百八の教え 共通の前行 意訳

(自他に本来具わる全き善・仏性を大事にした結果である仏宝・法宝・僧宝の)全ての帰依処【三宝】が恩師に入り、恩師も大本の師と一体化すると観想して下さい
そして、
「私の八有暇十具足等、貴重で豊かでかけがえのない余裕ある環境と時間を価値あるものにしよう、(自らも他人もこの身は自由の利かない借り物の身なので)死は突然やってくるから」と考えて下さい
(考えると、そもそも)生まれたモノは常に変化し(遂には)認識出来なくなる運命と(確信します)
(「そうであれば楽しく幸せに生きる為に自他に本来具わる全き善を大事にしよう」と、煩悩・特に悪感情から)心を逸らし、
世俗の八法(名誉と不名誉、利益と損失、称賛と非難、楽と苦)というこの世の(完璧で思い通りの)世間的な成功・勝利・達成を得る手段を追求するのを夢の中ですら願わないよう(教えを忘れず)思い出し、(自分を)監視するのを行動の基本として、
(全ては実体があるとする)錯覚・誤解の中、行為者と享受者が同じであるいわゆる自分が(今も来世以降も怒りに焼かれ・冷酷非情故に温もりを感じず極寒で・強い執着や強欲故に飢え・順位制でも弱肉強食故に落ち着かないという苦しい世界【三悪趣】に陥らず、)
(自他に本来具わる全き善を大事に生きる事で、輪廻の中悪感情に引きずられず)自由になるのを目的として、
(自他を大事にする・しないという)善悪の結果(苦楽)は過たずとしっかり確信する事で(育てる、支援する、ジェンダーを理解する、簡潔に伝える、必要なアドバイスをする、間を取り持つ、褒める、全き善に愛情をかける、それを支援する、そこへの因果を大事にするという
【十善業】など)大事にする行動を小さな事まで行い、
【自身の幸せな輪廻を目指す方】下士の(価値観を理解しその)生活態度に励んで下さい
(その後、輪廻の存在全てに実体があるとする)錯覚上の自他を大事にする行いから生ずる楽、この世界の完璧さは全て、(煩悩から生ずる)苦や不幸を離れた楽・幸せの幻影程度と確信する事で、
【輪廻】(つまり自身の煩悩)一切から自由になる【出離の決意】を保ち、
(その為に)自身が授かった戒(生活態度・行動の指針)に根ざし、
【四聖諦・十二縁起・三十七菩提覚支等】を教わり、分析し、習熟する事で、仏教の教え全てに(それぞれの教えはそれぞれの段階で最高の効果をもたらす最高の価値があると)優劣をつけず(相手が誰であれ)差をつけず行動する、【自身の煩悩からの自由を目指す方】中士の行いを為して下さい
ついには数え切れない(全ての)有情は(過去に何度も)父母としてお世話になった方なので大事にしようと、(その人が今までの自分と一緒で錯覚から自らと他者に本来具わる全き善を大事に出来ず苦しいと気づいていないので)自分以上に他者を大事にする優れた決意、何をしても他を大事にする事だけとなる決意いわゆる【菩提心】を保ち、
輪廻・涅槃の存在は全て、分析するとそもそもその存在に固有の本性がいささかもないと空を理解する虚空のような深い禅定状態
【止】と、
(普段)認識し得る存在はいずれも他の影響下でのみ成り立つ影幻のように本性がないと【観】分析し理解する禅定後の日常生活で、お経を唱えても瞑想しても移動しても寝ても座っても常に(菩薩戒を保つという)その価値観への理解と生活態度に努める、
【全ての有情の煩悩からの自由を目指す方】上士としての行動が極まるまで確実にするよう励んで下さい

インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。