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『水面桜』

―――大抵、いつもそうしてきた。

欲しいものが手に入らないとき。大事なものが手から溢れてしまったとき。好きだったものを嫌いになってしまったとき。私はただ「縁がなかったのだ」と自分に言い聞かせて、それ以上は考えず、感じない無機物になったような想像をした。そうすると、不思議なくらい簡単に心を落ち着かせることができたから。

幼い頃は、すぐにいろんなものを欲しがり、いろんな人を好きになった。でも大抵の願いは叶わないと知って、いつしか手を伸ばすことが億劫になり、歩み寄ることを面倒に思うようになった。思えばそれは、自己防衛の一種なのだろう。私はただ傷つかなくて済むように、多欲な己から自分を守っていたのだ。どうせあの世に持っていくことはできない。連れてはいけない。これを持っていたからといって、あれを失ったからといって、私が死んだらそれは何てことのない瑣末事なのだ。

―――でも、今回はどうしても、そう思えなかった。

失った痛みを、届かなかった悔しさを、無機物の私ですら、やり過ごすことができなかった。この感情が風化するまで、私は何年耐え続けなければならないんだろう。そもそも待っていれば風化するのか、甚だ確信が持てないのだ。

だから、手放す順番を変えることにした。私は無機物。何年もこの気持ちを手放せずに生きるならば、いっそ先にこの命とやらを手放してしまえばよいではないか。

思い立ってからは早かった。私は無機物。細かく考える必要はない。幸い私は誰の所有物でもなく、気にかけてくれる人も、将来を誓いあった相手もいない。

その日の夜、私は高速道路に乗って何時間か走り、適当なパーキングエリアで車を置いて、急な階段を下って敷地外に降り立った。煌々と照らす月明かりを背に、目的もなく闇雲に山間を練り歩いた。すぐに頭上は枝葉に覆われ、月明かりも殆ど見えなくなってしまった。まあ、いい。

まだ夜間は寒い時期、ましてや山の中だ。私の身体は冷え切って、段々と本当に自分が無機物に置き換わっていくような感覚だけがあった。草葉で切った指先も、泥濘で捻った足首も、もう痛みを感じなかった。

―――ふと、開けた場所に出た。

都会で生まれ育った私は、月がこんなにも明るいものだとは知らなかった。その月明かりが照らし出したのは、ひょっとしたら膝くらいの高さかもしれないし、この世の果てまで繋がっているようにも思える、不気味なほど静かな湖だった。

湖面は一見真っ黒に見えたが、近づいてみると水は澄んでいるようだ。種類は知らないが、一本の大きな桜の木が惜しげなく枝を広げ、はらりはらりと花びらを落としていた。

心の底から、綺麗だと思った。私は今日、この桜に出会うためにここに引き寄せられたのだと、そう思った。だったらこの抱えきれない感情に、持て余していた生命に、何も約束してはくれない時間に、終わりを迎えるのにこれほど適切な場所は他にあろうか。

私は意を決した。否、意を決したりはしない。私は無機物だから。靴は脱ぐべきだろうか。何となく土足で踏み入るのは失礼な気がしたが、湖の底は土なのだから土足が適切な筈だし、靴を揃えて、というのは何だかドラマや映画の模倣をするようで気が引けた。もとより携帯電話は持ってこなかった。高速に乗るだけなら、降りないなら金も不要だからと財布も置いてきた。私はここに何も残さずに行く。それは実に私らしい気がした。

私は一歩ずつ、ゆっくりと歩き出した。湖と陸地に明確な境界はなく、最初のうちは柔らかい泥に足を取られ、何度も転びそうになった。水ははっとするほど冷たいが、不思議な爽快感があった。私の足が水と泥をかき混ぜたせいで湖面が濁ってしまうが、足首から膝、膝から腰の高さまで、少しずつ進んでいくうちに水面まで土は上ってこなくなった。

振り返ると、桜の木が手を広げているみたいに見えた。音もなく吸い込まれるように水面に落ちる花びらが、

―――少しだけ、滲んで見えた。


Illustration by 黒まめ茶(https://twitter.com/98be22)

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