西橋師、馬に恵まれ人に恵まれ…今月限りで定年、プリモディーネなど一流に愛された“70年”
名伯楽 最後の勝負
今月限りで定年、勇退で8人のトレーナーが競馬サークルを去る。引退を控えた調教師が自身の足跡をたどり、競馬への熱い思いを語る「最後の勝負」。今回は99年桜花賞馬プリモディーネを育てた西橋豊治調教師(70)だ。“70年”に及ぶホースマン人生を振り返ってもらった。
「競馬場の厩(うまや)で生まれたんや」と西橋師はうれしそうに語る。蹄音、嘶(いなな)きが子守歌代わり。父・敬二さんは増本勇厩舎の腕利き厩務員。53年に皐月賞、日本ダービーの2冠を制したボストニアンを担当した。
「明治生まれで戦争にも行った人。職人だった」と懐かしむ。子供の頃から“馬乗り”に憧れた。65年に騎手見習として阪神競馬場の佐藤勇厩舎に入門。喜びと同時に現実の厳しさを味わうことになる。
「厩舎では4番手。リーディングを争うような兄弟子がいたからね」。佐藤勇厩舎では高橋成忠さんが不動の主戦。乗り馬に恵まれず、騎手人生は最後まで減量との戦いだった。
そんな中で巡り合ったのがオペックホース。80年日本ダービー馬だ。が、ひのき舞台で手綱を取ったのは関東の郷原。デビュー戦から5戦連続で騎乗しながら、非情な乗り替わりも当然と受け止めるしかなかった。再び西橋の元へ帰って来たのはダービー馬が完全に輝きを失い、“ただの馬”になってからだった。
菅谷厩舎での調教助手を経て、調教師に転身したのは94年。開業5年目にして出合ったのがプリモディーネ。馬名はイタリア語で「一流」。名に恥じない切れ味の持ち主だった。98年のファンタジーSで初重賞。阪神3歳牝馬S(当時)をフレグモーネで回避する誤算はあったが、チューリップ賞(4着)をステップに本番の桜花賞で大輪の花を咲かせた。
「4コーナーであの位置ではさすがに厳しいかと。ゴールの瞬間は勝ったかどうか分からなかった。なんで祐一(福永)は手を上げているんだろうと思ったぐらい(笑い)」
昭和のオペックホース、平成のプリモディーネ。そして令和の時代に新たな金字塔が生まれた。昨年5月2日の京都・下鴨SでJRA通算100戦を達成したスズカルパンだ。11歳。史上8頭目の偉業だった。
「無事によく頑張ってくれた。それもオーナーの理解あってのことです。ここまで、馬に恵まれ、人に恵まれた人生。オーナー、従業員、生産者、獣医師さん。全ての人に感謝です」
物心ついた時から周りに馬がいた。馬を愛し、馬に愛された“70年”。集大成となる2月決戦に襟を正して乗り込む。
◆西橋 豊治(にしはし・とよじ)1950年(昭25)3月18日生まれ、兵庫県(出生は京都府)出身の70歳。70年、阪神競馬場の佐藤勇厩舎から騎手デビュー。89年騎手引退。通算136勝。94年調教師免許取得。同年開業。JRA通算214勝(4日現在)。JRA重賞勝ちは99年桜花賞(プリモディーネ)、08年京都新聞杯(メイショウクオリア)など5勝。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?