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横浜から南島原市に移住しました

南島原市は長崎県の南側、島原半島の南端に位置します。
私はその南島原市に先日移住したおじさんなのですが、せっかくなので、移住することになった経緯や移住してからの様々なことを書きとめておきたいと思い、ご挨拶がてらに記事にしました。

移住したきっかけ

私は、ソフトウェアエンジニアをしているのですが、コロナをきっかけに自宅で仕事をするようになり、この仕事なら、もしかしたら場所を選ばずに働けるのでは、と考えたのがきっかけで、人混みや煩い住環境も苦手ではあったので、静かな海沿いで暮らす方法を探しはじめました。調べて行くと、市町村が運営している「お試し住宅」という田舎暮らしを体験するための施設があったり、東京都に勤務していて近隣の都市から通勤している人向けの移住支援金制度があったりすることもわかり、まずは体験してみよう!となったわけです。

私は現在50才、妻も一つ下の同世代で移住前は横浜で暮らしていました。職場は原宿だったので、ドアtoドアだとなんだかんだで1時間半くらいかかりました。妻とは出会ったのが3年前で去年籍を入れたのですが、スムーズに移住できたのは、この短い時間の中でも移住に対して前向きにとらえてくれた妻の協力があったからかもしれないですね。彼女は、福岡出身で、子供のころ、近くの小浜町や雲仙温泉に遊びに来ていて、大人になってからも旅行などで度々訪れていたそうで、そのあたりも決めてになったはずです。

旅行から移住へ

移住する前に、私たちは一度旅行で訪れてみることにしました。ちょうど二人で福岡まで遊びに行く機会があり、なんとなく興味があった、長崎県平戸市に福岡から日帰りで旅行にいきました。平戸市は平たく言うと橋でつながっている2つの島からなる所で、この時は、ドライブがてら雰囲気を感じようと二つの島を一周してきたのでした。

次に、横浜に戻ってから平戸市役所の移住担当の方に相談し、オンラインでミーティングしながら様々なお話を伺い、体験するなら一番暮らしにくいタイミングにしたいと考えてたこともあって、それを相談したところ、梅雨の時期で湿度がとても高い7月が良いんじゃないか、と勧められ、旅行に行った翌年の7月の一か月間、平戸市の移住お試し住宅にお世話になり、静かな漁港の街で暮らしてみることになりました。また、せっかく、一か月もの長い間、九州で暮らすのであれば、他の地域にも行ってみよう、ということになり、最初の三週間を平戸市で、最後の一週間を南島原市で、という移住体験ツアーになったのでした。どういう移住体験ツアーになったのかの詳細は、また別の記事でまとめたいと思いますが、それぞれ、縦に長い長崎県の北と南の端になるのですが、どちらの移住体験でも、庭にカニが居たり、部屋の中で大きな蜘蛛に出会ったり、良い意味でとても刺激的なツアーではありました。なお、どちらのお試し住宅も、手入れが行き届いていない、というようなことは無く、とても綺麗なところで、これから移住を検討する際には、ぜひ利用していただきたい、お勧めしたい施設であることを記しておきます。

いずれの市でも、担当の方が、市の空き家バンクに登録されている物件を中心に、幾つかの物件を一緒に回って紹介していただけたのですが、たまたま、南島原市に予算にあった、磨けば光るかもしれない物件が見つかって、これもたまたまなのですが、その年の年始の目標に「50才までに移住して家を買う」みたいな目標を立ててしまったので、後には引けなかったのかもしれませんw

南島原市のすばらしいところ

ここに決めた理由は幾つかあるのですが、まず、北側に雲仙普賢岳を背負い、南側は海を挟んで遠くに天草地方の山々や島々が浮かぶ魅力的な自然環境ですね。実は、移住体験が終わって帰る時に、普賢岳を前方に右手に海が広がる景色が望める素敵な坂があるのですが、その景色にやられた、と言っても過言ではありません。一方で、普賢岳は1990年頃に噴火が発生し、大きな被害が発生した、悲しい歴史を持つ地域でもありますが、その後の復興で整備された無料で便利な自動車専用道路があったりもします。

雲仙普賢岳の仁田峠から自宅方面を望む景色

ちなみに、移住体験の施設は「原城跡」という世界遺産にもなっている史跡のそばにあり、島原・天草一揆の舞台になったところです。私は歴史はあまり詳しくはないのですが、とても浪漫を感じますよね。

移住して良かったこと

私が移住して良かったと感じることは、次の3つです。

  • 家を持てた

  • 週末の使い方が変わった

  • 新しい働き方の実践

一つ目の「家を持てた」は良くも悪くも自分の城が持てたことです。持ってしまうことで、様々な維持費はかかりますが、空き家バンクを利用したことで購入費用も抑えられ、リフォームに関する補助金がありましたし、また、古い家をDIYで作り変えていく楽しみもできました。
二つ目の「週末の使い方が変わった」は、妻と出かけることが多くなり、様々な新しいところに出かけるようになりました。出かける先もショッピングモールのような買い物が中心であったところから、何処どこまで行ってみようとか、あれを食べに行こう、とか新しく見つけたり、体験したりすることが増えました。また、そういった中で出会った新しい友人も増えつつあるので、移住したことで趣味の交流が無くなってしまった寂しさも取り戻しつつありますね。
三つ目の、「新しい働き方の実践」は、原宿の会社を退職はしたのですが、業務委託という形で仕事はそのままさせていただいていて、通勤が無くなり、リモートワークさせていただく中で業務量を調整しつつ、他の会社のプロジェクトも取り組んだりしながら、地方での新しい働き方の実践ができているのではないかと思っています。エンジニアという仕事がそれほど市民権を得ていない地方な気はするので、地元エンジニアを増やすというところでも貢献できるといいなぁ、とは思っています。

最後に

私たちは二つの市を訪れてみて、南島原市に決めたわけですが、実際に行ってみたり短い間でも体験してみて、肌に触れた感覚で決められるととても納得が行く選択になるのかな、と思います。私たちの行動って、凄くお金もかかるし、熟考してないし、軽率かもしれませんが、逆に60、70になってからやりたいことをやるのも難しいですよね。一方で「移住する」というのは結構ハードルの高いことだとは思いますので、悩んでいる誰かにこの記事が少しでも刺さると幸いです。

こちらに来て約半年になるのですが、近所の方々もとても優しいですし、自治会の寄り合いなどでも歓迎してくださいます。島原半島や近くの観光地を巡る中で、おいしいものにもたくさん出会ったので、そちらも別の記事で紹介していきたいと思います!

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