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ハイキング・エッセイ

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雪の森へ〜八ヶ岳

 雪が積もっている季節の楽しみ、黒百合ヒュッテにお茶を頂きに行く。  渋の湯の登山口から2時間。黒百合ヒュッテまでの森の中は雪が積もっていても歩きやすくて、夏よりも楽しい。  春のはじめを愉しむハイキングなら、マイクロスパイクがあれば十分だもの。フロントピックで自分のふくらはぎも刺さない。着脱もしやすい。なにより歩きやすい。頂上を目指さないだけで得られる自由がある。  一歩、一歩。雪の感触を楽しむ。少し湿り気を帯びた雪はキュッと小さな音を出す。ときおり目を瞑ると、ピュルル

みちのく潮風、冬

トレイルヘッドにゆっくり向かうのが好きだ。 飛行機や新幹線であっという間に移動してしまうと、心が置いてけぼりになり、駅についた途端にわたしの身体が途方に暮れる。「遠足は家に帰るまで」との格言があるように、「旅路は家の門を一歩踏み出してから始まる」。 18切符を使って東京を出たのは早朝。各駅停車で乗り継ぎを重ね、相馬駅に近づく頃には陽が傾き景色が山吹色につつまれる。初めての土地なのに、冬の午後は懐かしい気がした。  常磐線の車内では帰宅途中の高校生が小さなグループを作って何や

雪の黒百合ヒュッテへ

 茅野駅に降りるとひんやりと乾いた空気が出迎えてくれる。硬い底のブーツ。重いバックパック。ガチャガチャとバス停に向かう。  行き先別に登山客が並んでいる。ロープウェイに向かう列が一番長く、赤岳に向かう美濃戸方面が続く。黒百合ヒュッテや高見石小屋へ向かう登山口の渋の湯へ向かう登山者は一番少なかった。  少なくて嬉しい。わたしの八ヶ岳は冬に登るもの。夏は人も多く、売店も賑やかで、なんだかお祭りだ。きっとそれが好きだという人もいるのだろう。山も、もしかしたら、にぎやかな方が喜んでい

初秋の八ヶ岳・県界尾根をのんびり歩く

 清里からのピクニックバスは混んでいたけれど、登山口に向かったのは一人だけ。シルバーウィークの最終日、あまり人気がないトレイルを選んではみたものの、うすら寂しいくらいにトレイルヘッドに一人。素敵なスタートだ。 県界尾根までとぼとぼと歩き始める。気の急いた草や木が夏山らしさを終え、秋の準備中。息があがると立ち止まっては、眼を閉じて深呼吸する。秋の香りがする。松なのか、樅なのか、栂なのか、なにかそういう針葉樹特有な芳ばしさ。 足もとの草や花、栂やダケカンバの形をなぞるように視線

スローウォークの楽しみ

 秋の山は楽しい。  10月の連休に差しかかるころ、友人夫婦に鳳凰三山に行くけれどいかないか?と誘われた。長坂方面から望む鳳凰から甲斐駒ヶ岳に連なる稜線を歩きたいと思っていた矢先、自分だけ途中から甲斐駒に向かう我がままを許してもらって、一緒に出掛けた。  のんびりと歩くのが好きだ。コースタイムを越えて歩くと得した気分がする。そういう時には、わたしを楽しませてくれるものがたくさんあったのだ。若い時分はバタバタと歩いていたけれど、考えてみたら景色を楽しむために歩いているのだから、

初冬の八ヶ岳(後)

 夜中に目が覚める。ツェルトの生地に影が写っていた。寝袋から這い出して外に出ると、大きな月が、木々のすき間をぬけ、青黒い空に浮かび上がるところだった。月明かりに誘われて、池へと向かう。  きんと凍った夜の山に溶けてしまいそうな希薄なわたしに比べて、足元から伸びる影は日中よりも濃かった。影は月夜を謳歌してわたしの先を進んだ。  みどり池の上には月明かりに写し出された天狗岳が青白く輝いている。息をするのを忘れてしまいそう。思い出したように鼻から息をすると、冬山の香りがした。  

初冬の八ヶ岳(前)

 小海線が清里をすぎて長野県にはいると、それまで広葉樹に彩られた秋の里山風景が、冬の明るい枯野に変わった。広葉樹の葉はみな落ち、ときおり杉の濃い緑色だけが彩りを添えていた。  川が北へと流れる。そうか、野辺山を過ぎると日本海へと注ぐのだ。  二両編成のディーゼル列車が松原湖駅に停まる。わたしの向かいに座っていた登山客が読んでいた本を閉じてジップロックにしまい、年季の入ったザックの雨蓋に仕舞った。彼につづいてホームに降りると、ひんやりとして、からりと乾いた風が北から吹い