ネプリ・トライアングル(シーズン3)第一回 感想


舟旅と思えば舟の詩が書けることだよ、いつも感謝するのは/笹川諒『手に花を持てば喝采』

舟旅ではない。「旅でもないし」かもしれない。移動くらいはしているのかもしれない。
ともあれ舟旅でない状態の「私」がそれを舟旅と思えるのにはなんらかの心の余裕が見える。そこから想像力だけで舟の詩が書ける。それはすばらしいことだ。
下句で感謝が示されているがこれは詩というよりそういう想像の舞台に立てる心に向けられている。

連作の節々に優しさがある。それは特定のものを慮ったりはしていないし、外部環境を変えようとするような優しさではない。
思うことのベースがあり、その思考が読み手である僕に寄り添ってきて安らかな気分になってくる。きっと、連作で示されているようなものの思いかたにはどこかしらの余裕が必要なのだろう。主体に安心感を覚える一連でとても心地よい。

歯を磨くたびにあなたを発つ夜汽車その一両を思うのでした/同


2年前4時20分にセットした目覚まし時計がいま4時に鳴る/水沼朔太郎『おさきに』

20分という数字の早起きの切実さ。4時半では間に合わないのだろう。それは一回性のものではなく、生活レベルがそうなってきている流れの歌のように読める。
あるいは、目覚まし時計をほとんど使わない主体が、2年越しの早起きをしたのかもしれない。いずれにせよ、早起きの時刻が読み手に与えるしんどさと、2年の間に起こったことの想像の余地のたのしさとを味わえる歌だ。

短歌は歌なのでわかるわからないとは別に音の良い悪いがあって、僕は自分の作品にすら、歌意としては気に入っていても音が気にくわないものがあるのだけれど、水沼さんの歌を読んでいて瞠目するのは音が嫌だと思ったことがほとんどないことだ。
けして定型遵守ではない歌風にもかかわらず、淡々と短歌の韻律の文脈で丁寧に読ませてくれ、そこに生活をサンプリングしたかのような読みの可能な詩が乗ってくるので、そこにもノレたときにはほんとうに好きになってしまう。

ストレンジャー・シングス  朝顔と目が合ったなら小さな声で/同


別行動中に会っちゃうのは良いねあなたの腕に揺れるエコバッグ/多田なの『こんな日の体育』

普通に会うときはエコバッグなどしない相手なのだろう。連作を通して描かれる「あなた」との親密さを通しての最後の歌で、だからこその面白さもある。エコバッグという日常的なアイテムを主体の前で見せない「あなた」は、まだまだ主体にとって親密さを深める余地を残しているかのようだ。
多田さんの歌は初句七音があまりなく、七音で取れる導入もぐいっと二句に入ることが多いと感じていて、これもその型といえるかもしれない。

連作の半分の歌に「あなた」が文字通り登場するのがなかなか執拗でもあるが、じゃあそれだけ「あなた」に対して粘着的かというとそうでもない。
むしろ主体と「あなた」には同じ生活圏内の中でも距離があり、折を見て会っているくらいだと見受けられる。そんな距離感の思いかたと上の引用歌の締めは秀逸な構成だと思う。

作文にあなたのことを書きたくていいコンテストを探してる午後/同

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