短歌連作サークル誌「あみもの 第三十三号」を読む
なんか、三十九号で終わっちゃうらしいですね、あみもの。
さびしいですね。
個人的に好きだった一首をひいていきます。
刻々と夜を失う公園であのハトなんかデカくないすか/夜夜中さりとて
あー、夜を失うのか、夜明けに向かうのか、失う、は、逆転の物言いだなーと思ったら、逆転じゃない、夜明けのほうの文脈でハトが登場してきた。ハトはすごく夜側じゃない。っていうのを、孤独感の薄い問いかけでやる。
爪を噛む癖はないけど一度くらい噛んでみようか悔し紛れに/海月莉緒
勝手に噛んだらよろしいやん、と、物理的には言える。あと、爪を噛む癖のある人は、悔しくなくても噛む。論理がだいぶ破綻しているのが、悔しいからだろうなと思えて、その悔しさを「悔し紛れに」とわかってしまっているのがなんとも。
どうぞ火を。いのちを焼くのは誰ですか。どうぞ座って。もう帰れない。/鈴木智子
何語?って思っちゃった。日本語なんだけど。かなりいろんな文脈で読めて、その中の読み筋の一つに、ISISがやったような火刑のイメージを見つけてしまってから、このぶつぶつした語り口がイヤになってくるほどこわい。
テレビ見て寝転ぶ母のTシャツの英語訳せば〈ビーチに行こう〉/工藤吉生
「おもしろ」なんだけど、力点が「訳せば」な気がしてて、訳してしまってごめんみたいな。確かに母の姿とはギャップがあるんだけど、主張して来ているわけでもなし、結びつけてしまう方がほんとうは悪くて。だから仮定形。
母さんの前でときどき考える母さんだけがいない葬式/くろたん
「母さんの葬式」だからこそ、母さんだけがいないんだよな、と思うし、こういう表現になって思い浮かぶのは「母さんと行く葬式」で、きっと知らない人の死を母とともにしてから、母は死ぬんだろう、という死との「まだまだあるけれど」リアルな距離。
ああこれは現実ですね出会う人すべての瞳が潤んでるから/瑠璃紫
出会う人すべての瞳が潤む、って、現実っぽくないんだけど、ちゃんと見たら確かにそう。それはハッとさせられる指摘だし、この主体は現実じゃないところで、潤んでない目をメチャクチャ見てしまったんじゃないか、ってなる。
桜を撮る 現像に出しているあいだに忘れてしまった 桜きれいだ/戸似田一郎
3つに分かれた歌の、カメラ越しに、記憶として、写真として、それぞれ桜を「見ている」んだけど、それを言ってないからこそ、別々の動作が一本につながってくれているんだと思う。そしてどれも、リアルな桜ではないのだ。
湯気でそうなほど飛ばした自転車のエンドレスリピート・オブ・サチモス/小泉夜雨
なんか、こういうときに「サチモス」なんだ・・・みたいなのがあって、すごい「オブ」の部分まであったスピードが、ぐん・・・っ、・・・って、落ちる感じがある。この主体の出そうだった湯気、出てないけどどこ行ったんだろう。
先生は『ふたりエッチ』を没収し6巻以外返してくれた/若枝あらう
先生、6巻だけなぜ・・・?の、おもしろはあるんだけど、なにより「ごっそり没収された」ストーリーが背景にあるってことが大事なんだと思う。この『ふたりエッチ』の「一冊じゃなさ」が、バカバカしくて、青春だなと思う。
赤ちゃんはどこから来るのと聞いてきた娘を大神殿へ連れて行く/サラダビートル
この世界線では、それが正解なのかもしれない。まるっぽ意味のない行為って感じもしなくて、壮大なはぐらかしな気もして、身近に大神殿がないから何とも言えないけど、この歌は「コウノトリ」に勝ったな、、、みたいな気持ち。
もしよければ遠い国からやってきてそのまま歌ってほしい明るさ/窪田悠希
「明るさ」にそんな修飾するか・・・と唸ってしまった。だって「やってきて」ることはやってきてるから。「もしよければ」をクリアしてしまっている「明るさ」に、「もしよければ」をつける、それは畏敬の念に近いと思う。
こんな感じです。僕も次号、頑張って書いて投稿しよう。
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