短歌連作サークル誌「あみもの 第三十号」を読む

僕が(ほぼ)毎月参加している、インターネット上で短歌連作を募集している短歌連作サークル「あみもの」に寄せられた歌から、気になった歌を引いていくというのをやってみようかなと思う。

「あみもの」は連作を募集する場なので、連作として語れる要素が多い作品が並ぶけれど、ここはひねくれて、一首で気になった歌、をフォーカスしていこう。一首だから、連作のタイトルは引かない。


粉砂糖スーツにこぼれ払ふよりなくて払へりふたたびみたび/寺阪誠記

大好きな気持ちの悪さ。「払うよりない」と「ふたたびみたび」は、気持ちの面で同じことを言っている。それを、「なくて」と順接でつないでいる。執拗に言ってる感。ああ気持ち悪い。


コンビニの吊り新聞の中にある海で静かに休みたい朝/屋上エデン

朝の、コンビニで、休みたいと思うような通勤時に、吊り新聞の前で立ち止まってしまったときの、空白を想った。「静かに」の逆で、主体の今の環境はうるさい。その環境下での、空白。せわしない人通り。


二合炊けば二合を食べてしまうので一合炊いて一合を食べる/戸似田一郎

助詞「を」のあるなしの平仄が、上下でとれている。「を」があるほうが、ぐわっとお米を見てしまう。当たり前の論理だが、「二合を」の「を」が「こんなに」のイメージで、「一合を」の「を」は「これしか」のイメージ。うん。


死んだあと恥ずかしいから燃やしてね私の家はよく燃える家/ひろうたあいこ

「燃やしてね」が「家」だったら、「こんなこと言えちゃうのか」の「きっつい」が勝るところを、「別のなにか」の想像が容易であるがゆえに、その「なにか」で拾っていったあとにこの下句なので、唸る。


ゆっくりと霧が晴れるとスシローの看板だけが残されていた/朝田おきる

ああ。霧の中、スシローの看板はいい感じに見えなさそうだ。白いから。晴れたら見える。でも白いから存在感はない。あるのは、スシローの文字。このインパクト。それと、SF的読み味。不思議の中のスシロー。100円から。


これ以上崩れないよな月の晩くぐり戸押して向こう側へゆく/一ノ瀬礼子

すごい新月に近い薄い月の、ギリギリ感を覚えながら、ただ「向こう側」へゆくだけだから、そこが異界であるとも書いてないし、全く読めない。けれど、そこが「普通の世界」であることが「書いてない」ことが、ひっかけ続けるもの。


子と夫見送り迎える七時半ひとりで過ごす朝よおかえり/諏訪灯

緊急事態宣言からその緩和、の移行として読めるけれど、単純に、この人にとっての「起き抜けの最初の朝」を想う。それがあっての「おかえり」でも歌がめちゃくちゃ成り立って、時事詠なんだけど、そうじゃない読み方もあるなと感じる。


明日もとの時間へ帰ってゆく君は拙者を忘れるんでござろう/安錠ほとり

「拙者」ということばに「過去の人」の意味合いを露骨にかけて、だからこそ、「拙者」、「ものわかりよすぎやろ、、、」ってなる。「忘れる」あたりって「当たり前」じゃなくて「ルール」っぽいので、そこのものわかり。


胸元にチラリ見えてる刺青のデンドロビウムの花言葉なに?/あめのちあさひ

デンドロビウムの花言葉を聞いている。理由が、刺青にしてるから。上句にパーレンがないので、ぜんぶ発話してるの?っておもっちゃう。初句二句は心内発話っぽいけど。それも聞いちゃってそう。


みたいな感じです。面白い歌いっぱい載ってますね。

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