いちごつみを考える 小泉夜雨と中條茜の作品
いちごつみ、という短歌の遊びがある。二人(ないしそれ以上)での短歌の応酬なのだけれど、前の短歌に含まれている言葉を「一語」だけ「摘み」、次の短歌に反映させるというルールつきのものだ。
短歌クラスタでは結構人気が高く、わりと自由な題詠の練習にもなるし、返歌のエッセンスを身につけるにも役立つし、様々な人がさまざまな関わり方をしている。
僕もそれなりにやってきたつもりなんだけど、やはりTwitter上でもっともこの遊びに傾倒しているジャンキーは小泉夜雨さん(以降敬称略)だろう。
だいたいいちごつみは2人で100首というのがガッツリ系のスタンダードになってるけど、小泉夜雨はこれを7人8人と同時に行ったり、もうわけがわからない。化け物かよ。
というわけで、そんなジャンキーこと小泉夜雨のいちごつみ短歌を鑑賞してみようかなあという試みだ。お相手は中條茜さん(以降敬称略)。なんでこの2人をピックアップしたかというと、
まあこんな感じでジャンキーらしく100首の応酬を終えたと思ったら、
すぐに2週目をはじめ(鬼いちごしりとりとは、いちごつみをしながら短歌がしりとりになるように返し、なおかつ摘む一語は指定するという悪魔の遊びである)、
おわったと思ったらまたはじめた。
変態かよ。
つまりこの2人だけで都合300首の短歌があるわけである。えぐい。ちなみに僕もこの期間、小泉夜雨と100首がんばった。ほとんど僕が考えてばっかりだった。お母さんたすけて。
冗談はさておき、それだけの量を見せつけられたら評を入れたくなるものである。ぶっちゃけいちごつみは駄作がたくさん生まれる。もうこれはしょうがない。2人のいちごつみも、まあ半分くらいはそんなによくない。むしろ半分近くよいというのはちょっと、やばい。
ということで、厳選に厳選を重ねて22首紹介する。20にしたかったがふたつはみでた。なお、時系列順です。
ひとつでも好きなところがあるのならあの子じゃなくてわたしにしなよ/小泉夜雨
暴論がよい。完敗以外は主体の勝ちらしい。ジャイアニズム短歌である。
さよならを繰り返してるもう一度あいたいフォークダンスみたいに/中條茜
「あう」じゃなく「あいたい」で、比喩がすでにすれ違ってる。それは切ない。
アルバムの三、四曲めだけ聴いてよかったよって笑って返す/小泉夜雨
だいたい最初らへんは知ってて借りる。だから飛ばす。下の上の丁寧さ。
三両の列車は走るイエローとシアンの二色刷のふるさと/中條茜
ローカルなチラシの表現、とてもよい。「ふるさと」ととてもよく調和してる。
さよならはこういう風に音もなく雑居ビルからおりてくる紙吹雪たち/小泉夜雨
字余りの降り注いでくる感じ。現実的な景にみえて、かなり幻想的だ。
提灯の明かり片目でコルク銃構える君が少年になる/中條茜
祭りのワンシーン。銃は大人、コルク銃は子供、少年化する大人。すばらしい。
さみしいはさむいと一緒 会ったときあなたの指を借りていいかな/小泉夜雨
さ、さ、あ、あ、の音がきれい。意味よりも細かい音のリフレインが巧み。
参道に弾けてやさし夜の雨いつかあなたに会えると思う/中條茜
1週目ラストの歌。相手詠み込みもきれいだが、参道のさわやかさと飛躍のマッチ。
時すでにお寿司、あなたも思うでしょ?SOSは寿司・お寿司・寿司/小泉夜雨
考えるな感じろの世界。救いは寿司にあるのである。お寿司と。
月曜を倒しにいくよ武器装備何がおすすめ?弱点はどこ?/中條茜
勇ましい導入から一転しての頼りなさ、答えはないのだ、誰も倒せてないのだから。
青春は迷路 君のは雄叫びと呼ぶにはすこし物足りないね/小泉夜雨
迷路と雄叫びの絶妙な距離。もっと叫んで、助けを求めたって良いのだ。
特典のライブ映像見つめてる東名阪への恨みは募る/中條茜
都市サービスの仕方なさ。衒いのないストレートな表現と、感情のニッチさ。
電球の集合体が夜景なら愛の集合体はなんなの/中條茜
「なら」がカギ。夜景として、そういうまとめ方をして、愛はなにになるか。すごい。
散りばめよ 夏のほとりを見上ぐれば連鎖のやうなさいはひの降る/小泉夜雨
初句の命令が結句まで持ち越されて腑に落ちるような、きれいな景だと感じた。
気づいたら遠くに見えたいまにいた キャラメル箱に桜をつめて/小泉夜雨
いまからぐーっと過去に遡って引き戻されたような感じ。下の句に落とし所。
手を繋ぐときの温みよ生物の教科書にある螺旋を思う/中條茜
温み、生物の、の連結から螺旋への連結、お見事だなあと感じる。
あたたかいものを探して生きる ねこ 夜は黙って抱かせてほしい/中條茜
真ん中のねこが支えるものの大きさとそれに反するきゃしゃさが危うい。
待ちわびてゼリーをひとつ開けましたあなたの好きなぶどう味です/小泉夜雨
いろんな種類のあるやつ。一個ぐらいいいのに。一緒に食べたかったのだ。
遠い春 いつか野原で母と見たしずかに羽を畳んだ蝶の/中條茜
うーん、なんだこれ。静か?静かですよね、読み終えたら時間止まりません?
ああ世界みんながひかる日曜日アイラブ・サブウェイ、ユーラブド・ミー/小泉夜雨
しれっと裏切ってくる結句。自然に忍び寄ってくる。下の句大賞。
ここじゃないどこかへ旅をする前にきっちり締めるガスの元栓/中條茜
前「に」がよい。しっかり旅をするときは逆にしめなさそうな危うさも広がる。
約束の時間、終わりのない昼の滑走路、好き、嫌いのあいだ/小泉夜雨
これまた時空がびろーんと伸びてきて殴ってくる。ようこんなん幻視できるな。
と、こんな具合である。そりゃ見ていて楽しい。4週目もやりそうな勢いなので、陰ながら眺めていようと思う。
ところで。
せっかくこんだけ読んだので、ちょっとデータを取って見た。
ずばり、いちごつむにあたって、つんだ言葉を「どこに持ってくるか」である。人により、その傾向があると思ったのだ。
鬼いちごしりとりは「しりとり」なので初句に入れるのは無理があるのでおいといて、1週目と3週目の合計100首ずつ、どちらも小泉夜雨からのスタートゆえ小泉夜雨が98回、中條茜は100回摘んでいるその、内訳は。
小泉夜雨
初句32回/二句17回/三句15回/四句19回/結句15回
中條茜
初句29回/二句28回/三句8回/四句22回/結句23回
となった。ぶっちゃけ初句が多いのは予想していた。自分がやっていた時もそうだけど、とりあえず摘む語を決めたらそれから始まる短歌を詠みがちになる。題詠あるあるでもある。
見ると小泉夜雨はそれ以外はバランスが良い。慣れているだけあってどこにでもつっこめるオールラウンダーなのだろうか。
反面中條茜は二句が多い。上の句から考えるタイプなのかもしれない。ただ三句が異様に少ないので、上の五七か下の七七を先行して組み立て、間は調整するように入れているのかもしれない。
ちなみに鬼いちごしりとりをやったときはこんな感じ。
小泉夜雨
初句1回/二句20回/三句9回/四句14回/結句6回
中條茜
初句2回/二句9回/三句11回/四句13回/結句14回
この数字は句またがりなどもあるから参考程度だけど、小泉夜雨はとりあえず指定語を先に使う傾向があり、中條茜は後ろに使う傾向がある。ようだ。だからどうという話ではないが、これで自分の作歌のクセが見えてくるかもしれない。
長くなったけれど、お二人を始めいちごつみに興じる全ての人に敬意を、そしてさらなる発展の願いをこめつつ、結びとします。ありがとうございました。
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