短歌同人誌『遠泳』を読む


出るぞ出るぞと期待させてくれた上、秋の東京文フリでは題詠フリーペーパーだけでさらに期待させ、京都文フリに出なかったらまずいだろうと思っていたらちゃんとでてくれて嬉しかった短歌同人誌『遠泳』が、やっぱりよかったのでメンバーの連作に触れていきたく思います。


除光液 メロンのにおい 弟と指ずもうしたのはいつだっけ /笠木拓『pink』

ネイル作業の際にフォーカスされる指から弟を思い出しているとき、起点になるのは多分爪なんだけど、「メロンのにおい」が捨てがたくこれががっつり下句の回想に浸食している実感。そういう過去かと感じれば、過去ににおいがついてここちよい。

連作は女性的なファッション・道具を志向する主体がさまざまな暗示をもって描かれているけれど、たとえばそれが開かれた思想を強調しているかというとやや薄く、内向的な視線が目立って感じられた。多面的に自己を肯定していきたい気持ちが飛躍の回想や想起に多く現れているような気がする。

はつゆめにわたくしは鹿 種を食み露の体に霧の角もつ /同


かみそりで肌なぞるとき砂浜に打ち上げられたような茫然 /北村早紀『白の跳躍』

「なぞる」が髭というより体毛的なものを想起させる。そのとき身体感覚として、ざらりとした触覚があって、道具を通してなぞる感覚と肌としてなぞられる感覚が二重になる。そんな、自分ってこんなだったっけと感じてしまうことを示すような比喩だと思う。

連作前半は掲出歌のようにひりひりした感情が目立って、あまり若いとされなくなってきた環境でやっていかなければという焦燥が感じられた。後半になってその目線が、大切な他者に向いてきたように思う。だんだんとやわらかく明るくなっていく感じ。

野洲行きに乗ったら野洲まで乗っていたい顔を半分陽にあたためて /同


強風がページをめくる 犯人がわかってしまう そこからを読む /佐伯紺『育った場所の冬しか知らない』

ボケに対してツッコミがないような、まあいいかの主体。しかしミステリ小説においてこの強風で飛ばされたところは「我慢」なるもので、ここを耐えておいしいところを食べるようなものだ。そのおいしいところが不可抗力でやってきたともとれる。いずれにせよ主体は流される。

佐伯紺の歌は、あーあと思うような現象を受け入れて生きてしまう主体がよく出てくる。それはひとつのライフハックなのかもしれない。そうやって生きている主体が切り取るものはささやかながら、本当に気にするべきことだったかを問いかけてくるようだ。この連作は、結構ダイナミックな切り取りが目立った。

雨宿り 真夏に冬を乞う人も乞わない人もいて虹をみる /同


最終のバスに眠らぬ友人の、やがて錆びゆく貨物のような /坂井ユリ『眼を閉じて』

ああ、と腑に落ちつつ、周辺は色々なとりかたのできるにじみがあるなと感じた。主体はバスにいるのかとか、友人そのものを貨物に見立てているのかとか。覚醒という状態の錆びなさがあって、その先を思っているときに貨物らしさを感じるのは友人の周辺を含めてな気がした。

文体や読点の選択が、どちらかといえばネガティブな心情に比重のある連作を強くしているなと感じた。相手へのまなざしはやさしいものが多い一方、主体の行動には本質的に力を覚えるものが目立っていて、それがネガティブさのやせがまんになっておらず重たく伝える方向につながっているなあとしみじみ思う。

我の手に絞められながら細長き花器を窓辺に雨の窓辺に /同


銀幕が色褪せていく傍らできみの泣きやみ方を見ていた /榊原紘『名画座』

映画の終わりごろの余韻が、結末付近での感動をじょじょに戻すころを見つめていて、ドラマチックさにあふれる「泣き出すきみ」まで射程に捉えている表現だと思った。連作タイトルからしてもハイライトの歌のひとつなのかなと感じるが、素晴らしい盛り上げだと思う。

目の付け所といってしまうと陳腐なんだけれど、そこがあったかという思いにかられることが多い連作だった。そういうところは見つけてもえてして表現のしようがなくて、だからこそそれが表現できたときの独自性は強いのだと思う。

駅で抱き合うひとびとのあらすじのねじれの位置を運ばれてゆく /同


ちゃんと結婚した人たちが声高に繰り返すちゃんと結婚してね /中澤詩風『群青色の夜明け前』

結婚の「ちゃんと」が結婚の質(なし崩し的なものでない、とか?)を問うているようで、主体には結婚できる/できないのレベルにまで刺さっているような文体である。「ちゃんと」を推す人はどちらかといえばちゃんとできなかった人で、できた人が言ってくるのはとてつもなく押し付けだ。

連作の文体は同人中もっともシンプルで、口語的。ポップに終始しつつも詠まれる視点や感情はなんとなくのうまくいかなさや一般から外れた主体だったり。そのなかにときおりさしはさまれるポジティブも楽しい。

夜の赤信号を律儀に待つときのあまりにもささやかな微笑み /同


届かないものは冷たく見えるけど「寒い」のほとんどは独り言 /松尾唯花『リバーサイド・アパートメント』

たしかに「寒い」というときはだいたい独り言で、誰かに伝えようとすることはない(ですよね?寒いなーとか寒いよな、などとは違うわけだし)。そもそも伝えようと思わない「寒い」が言葉の本質的にもつ冷たさがあって、それをもってして届かないものがあることを乗り越えようとする主体が読めて、虚勢っぽいのだけどそこまで歌が織り込み済みのよう。

自宅周辺の生活詠を通して描かれているのはひとりで大丈夫なのにひとりをみつめまくっている主体だ。それは一般に馴染めない主体の性質へのまなざしにまで踏み込まれていて、悲しみすぎてはいないもののため息が聞こえてくるようだ。

夜って脆いね しゃがんで開く冷蔵庫まぶしくて震える足の裏 /同


引用してきた連作のほか、同人どうしの交換日記もあって、同人間の距離感が垣間見えて楽しかった。時間をかけてつくられたんだなということもよくわかる時系列も面白いです。

長くなったけれどこのあたりで。ありがとうございました。


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