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2月 雑感

その車は、
左折専用レーンだけ青になっている信号の道の、
がらがらの左折専用レーンをすーっとやってきて、
左折するのかと思いきや、
とてもきれいに右にスライドし、
直進レーンで停車している車の前に止まった。

先週の帰り道、このあまりに美しい交通違反を見かけて、マスクの下で声に出して「すげ~」と言ってしまった。前につけられた運転手も、そう思ったかもしれない。
なんだろう、「あ、やばい、左折専用レーンに入っちゃってる、これ直進レーンに割り込ませてもらおう」みたいな心情の動きではなかった。迷いがなかった。10人が見たら10人が違反だと心から思える所業だったのに、鮮やかというか。

これを許してはいけないのだけど、「やり方が鮮やかなものがごまかしてしまうもの」が、あるよな・・・という改めての気づきがあって、よかった。これが名古屋走りってやつなのだろうか。だとしたら名古屋すごい。多分違うだろうけど。


僕は徒歩で通勤しているから、それなりに色々なものを見かけるのだけれど、もう三年以上になるし、定期的に見かける人やものもある。会社の近くの駐車場でいつも立っているおじさんは、僕が若干遅刻気味の時、駐車場を発って歩き出していて、すれ違う。たまに駐車場に立ったままのときもある。

そういう人の話として、「モンザキさんの歩きかたの人」の話をしたい。
モンザキさんとは、僕の小学生時代(大阪です)の同級生である。仲が良かったかというと、全然。逆に悪くもなかったけど。女性で、なぜカタカナにしているかというと、ザキの漢字に自信がないからだ。下の名前も記憶しているが、漢字一文字の女の子の名前で憶えていて、もしかしたらもうちょっと下に足されるタイプの名前だったかもしれない。
僕は中学受験をしたので、小学校の同級生とは、卒業後それきりとなった人が多いのだけれど、モンザキさんもご多分に漏れず、それだ。今元気かなあ。

にもかかわらず、僕は、この名古屋ですれ違った人を見て、「モンザキさんの歩き方だ」と思ったのであった。
断っておくが、モンザキさんの歩き方がおかしいというわけではない。普通の人よりも、ちょっと上下の動きが大きいかな、と思うくらいの歩き方である。見たらわかるけど、指摘するほどの個性じゃない、そんな歩き方。
最後に見かけたのも15年以上前の歩き方。
それを、その人はしていた。

僕は、「モンザキさんの歩き方だ」と思った瞬間に、「自分の中に、まだモンザキさんの歩き方が残っているんだ」ということに衝撃を受けた。これは誇張なく、少なくとも高校を出てからは、モンザキさんのことを考えたことすらないと思う。それも普通のことだろうし。でも、記憶に残っている。
昔、人間は生まれてからの記憶を本当は全て持っていて、思い出せないだけなのだ、という話を聞かされたことがある。それを信じてはいないのだけれど、人間の記憶の面白さに触れた気がした。

ちなみにこの話は実は去年かおととしくらいの話である。なぜここに書くかというと、今月、またその人とすれ違ったのだ。すごく久々である。
そこで僕は、以前見かけたという記憶が消えている状態で、「モンザキさんの歩き方だな」と思ったのである。直後、以前も見かけてそう思ったこと、そのことに衝撃を受けたことを思い出し、やっぱり人間の記憶ってすごい、と感じた。来年か再来年くらいに見かけられたらいいな。でも、さすがにもう記憶からは消えないんだろうな。消えるかもな。


いつまでも若いつもりでいたけれど、30も超えてくると、昔みたいにはいられないと感じることも出てくる。食に関してはとみにそうだ。
妻とは年に一回くらい、いい焼肉に行くことにしていて、だいたい1月なのが今年はやれていなかったので、バレンタインデーに行った。妻曰く、「セント・ヴァレンタイン・肉・貪り=デイ」だそうで、口にされるたびに頭の中にマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの曲が響いた。

年に一度の贅沢だし、予算もそんなに考えないで食べたいものを頼むのだけれど、これがなんというか、「受け付ける脂の限界値」が見えてきた感じがある。量的にはまだ食べられるのだけれど、脂がもう無理、の感じ。
しかも、若いときの気分で食べていってそれを思い知るというよりは、もう身体が分かっているから、注文の時に「このへんまでだろうな」という手加減が入る。それがどんぴしゃなのである。だから、最初によい肉をババっと頼んでしまって、あとは流れとするのが楽だ。

十年前の僕がこの状況を見たら悲しむのかもしれないけれど、これはこれで、年相応の料理の楽しみ方をするものだな、と肯定的に捉えている。存外、自分はネガティブなのではなくてポジティブなのかなと思う。まあ、自分の人生に関してポジティブなだけで、根っこはネガティブだと思うけど。

とはいえ、まだまだガッツリ食べる経験は積んでいきたいものだ。つい昨日のお昼、妻の希望で、バーガーキングが発売したメチャクチャでっかいハンバーガーこと「キング・イエティ」を食べた。ヘッダーの画像はそれにしているけれど、人生で初めて、ハンバーガーを持って「重たい」と思った(500グラムあるらしい)。
幸運なことに美味しく食べ切れたのだけれど、妻より時間がかかった。食べる前は、妻は食べ切れるのか、食べ残しを渡されたら食べ切れるだろうかみたいな心配をしていたのが恥ずかしい。しかも、二人して夕食はいらなかった。先が思いやられるが、まあ楽しんでいきましょう。


時事の話をすれば、今月はトルコの大地震が痛ましい。僕の中で最も怖かった地震は3.11だが(阪神淡路大震災は、物心つく前に周辺地で軽く被災しただけだったのだ)、海外でいくと、1999年のトルコ大地震になる。
例えば2004年のスマトラ沖地震、2010年のハイチ地震みたいに、もっと被害がひどかったものもニュースで見てきたにもかかわらずどうしてかといえば、これは当時の僕の年齢によるものが大きい。
当時僕は9歳で、阪神淡路大震災をしっかり学ぶにはまだ早く、しかしニュースはわからないながらも見始めるくらいのころ。人生で初めて、地震でぐちゃぐちゃになった建物を見たのがこれだったと思う。しかも親は、こういう地震が何年か前にこの辺でもあったという。「こんなことが、自分の周りに降りかかることがあるのか」という恐怖は当時の僕には強くて、その「こんなこと」がトルコに紐づいているものだから、今でも僕の中でトルコは「地震が怖い国」だ。

それが今年、さらに被害が広がってしまった。心から悲しい。
また、さきの地震以来、トルコの建築基準法的な規制は、耐震基準がかなり厳しくなったにもかかわらず、多くの建物が基準値以下で無許可で建てられていて、建築恩赦という制度が、それを追認していたということを、今になって知った。
建築恩赦自体は、トルコに住まいを行きわたらせる住宅政策の側面があるのかもしれないけれど、結果論としては、運用が誤っていたことにはなるのだろう。そのへんになにか物申したいわけではないけれど。

ともあれ、幼いころにもってしまったイメージや記憶って、30を超えてもしっかり自分に影響しているんだな、と思うことの多かった2月だった。


年明けから若干仕事がバタバタしていたのだけれど、今月はいくぶんか落ち着いて、定時でサッと帰れる日も増えた。すると久しぶりに、日のあるうちに帰ることができたことが、ちょっぴり嬉しかった。先月も定時で帰った日はあるけれど、まだ日は落ちた後だったと思う。ちゃんと仕事をやって暗い中を帰るのもいいけれど、定時で帰れたら日があるほうが好きだ。冬は嫌いじゃないけれど、そこが苦手だ。

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