評bot 15
今回も始めます。趣旨は下のツイートをご参照ください。なお、ご利用者様は敬称略にて失礼いたします。
神田川抜け出て外のもわもわをキュキュッと締める丸ノ内線 /六浦筆の助
私は関東に住んだことが一度もなく、景として実感しているわけではないのですが、丸ノ内線がどうやら神田川のあたりを地上走行しているみたいですので、そのときの感じを歌にされているのかな、と思いました。なんかわかる気がするんですけど、惜しいです。
「もわもわ」が「キュキュッ」になるとき、というのは、すごく短歌になるとは思います。漠然としたものに輪郭を与えられる瞬間ですし。しかもそういうのって生きていて当然に感じられるものではないと思うので、しっかり主体の眼で切り取っている感じがするのです。
しかしこの歌、結局何のことなのかが掴めません。掴めないとなるとダメじゃん、ってなっちゃうんですが、「電車」という質感が「キュキュッ」にするなにか、というのは、分からないでもないのです。何を言いたいのかさっぱり言いたい歌ではなくて、何かを言いたいんだろうし言えたら適切な詩情が訪れそうなんだけれども分からない歌、みたいな感じです。さすがにここはもっと具体的な言葉のあっせんを信頼されたほうがよいのではないでしょうか。
ご利用ありがとうございました。
「ピコピコはほどほどにしな」と怒る祖母茄子の唐揚げりんごのジュース /青菜西雄
なんでしょう、ありとあらゆる要素が「っぽい」歌だと思いました。おばあちゃんが「ピコピコ」って言う感じ。「怒る」が「やめろ」じゃなくて「ほどほどにしな」の感じ。「茄子の唐揚げ」が出る感じ。一緒に「りんごのジュース」がある感じ。祖父祖母あるあるじゃないですけど、頭からお尻まで「それな」がある歌です。
ここまで「それな」があるので、この歌にこれ以上のものを望んでも仕方がないとは思いつつ、欲を言えばもう少し主体の心を知りたいな、という気持ちはあります。あまりにも要素の羅列に終始していて、そこにあるものの鑑賞しかできないというのが正直なところです。
とはいえ、この取り合わせのバランス自体は悪くないと思いますし、ここから何か削って心象を入れるべき、という気もしないのです。こういうときが連作の出番なのかもしれませんね。別の歌で主体の心を立ち上げながらこれらの要素を鑑賞できると、なお受け取れるものがあるんじゃないかという気はします。一首で立つには弱いかな、弱いというわけではないんだけど深読みが難しいかな、という印象です。
ご利用ありがとうございました。
今回は以上です。
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