生活時評(十二月)


まるで毎月書くかのようなタイトルだけど、書いて年に一回だと思う。

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今朝、会社を辞める夢を見た。職場もいまのところで、仕事内容も今の仕事内容で、それを「もういいです」って言って辞めちゃって、エレベーターで一階に降りてからさーてハローワークに行くか、って思ったところで目が覚めたんだけど、よくよく考えたら辞表を提出していたのは昔の営業時代の上司に対してだった。そういえば、30歳になっても営業だったら会社を辞めようと思っていたんだった。さいわい、その直前で営業をやらなくてよくなったんだけど、ちょうど30歳の今、その時の自分にけりをつけたかったんだろうなあ、なんてことを思った。

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結婚したので自宅での会話量が増え、流行ったフレーズもけっこうあったので家庭内流行語大賞を決めようとなった。とはいえ候補に挙がっていったのは妻が発したセリフばかりで、もともとTwitterの知人が妻語録をつくるくらいには変なことを言う人なのだけれど、ほんとうに感心している。それのおかげで生活が楽しいことは間違いがない。ありがとうございます。ちなみに以下のような言葉が候補になった。

・エニモーパーク、略してズー:動物園のこと。エニモーパークと言ってしまうことはわかるんだけど、後半のねじれが個人的にツボすぎて自分でも使っている。ちなみにこれが流行語大賞になった。

・種田四頭火:妻の寝言。いわく、種田一門には一頭火から十頭火までの一軍的な存在と、十一頭火から二十頭火までの二軍的な存在があって、あとは破門らしい。妻は四頭火だったようだ。この法則だと、種田山頭火の居場所がないのが面白い。

・おファック申し上げる:主にゲームがうまくいかなかったときの悪態のつきかた。

・不穏な音インティライミ:我が家の洗濯機に洗濯物を詰め込みすぎたときに、発せられる音のこと。

・かき氷機:夏にいろいろあって買った。割と使った。

・キモ・オタク:主にゲームがうまくいかなかったときの悪態のつきかた。キモとオタクのあいだの「・」をしっかり発音しなければならない。

・1000ベル飛んでる:ゲーム「あつ森」で、オオゴマダラが飛んでいるときに発する言葉。1000ベルで売れるから。

・ヒッヒー:僕が小学生のころ、童謡「グリーングリーン」のサビのところで「グリーングリーン」と歌うところをこのように空耳していたこと。

・カロリーメイトの妖精:妻に、私をいい感じに形容してくれと言われたときに、僕がとっさに言ってしまった概念。

・きょうの墓場:ステージ制のゲームでうまくいかない面のこと。

文章にするとおもしろいな。こいつら何を言ってるんだろう。

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今年は私家版で歌集を出して、読んでわざわざ悪口を言いに来るひとはいないから当然の話なんだけど、それなりに評判よく受け入れていただいたんじゃないかなという気がしている。とはいえ僕の歌集は私家版で、書店流通することはなく、わかっていたとはいえステータスにはあまりならないのかな、と思ったりした。それでも簡単に作れるものだし、簡単に出せるから、僕としてはこれを貫いていこうかなあ、と思っている。つい昨日、若い人が歌集を簡単に出すのが云々みたいなツイートを見かけて、そういう意見の「歌集」にそもそも私家版歌集は入ってないんじゃないかという気もしたけれど、それでも、僕はこの手軽さを大事にしていきたい。

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今年はこんなご時世だから外出もあまりできず、代わりにめちゃくちゃ映画を観るようになった。これがよくて、というのも今までろくに映画を観ていなかったし観られる余裕もなかったから、その遅れを一気に取り戻すことができた。とはいえうちには「ボヘミアン・ラプソディ」を9回観やがった、一度ハマればとことんの妻がいる。第二のボラプが出たらどうしようと思いながらのチョイスをしていったのであった。

結論から言うと第二のボラプは出てしまって、それが「インセプション」だった。確かに超面白い。超面白いんだけど、まさかDVD鑑賞してからDVDを購入し、それを年内に3回鑑賞し、ついでに夏に復刻IMAX上映がなされていたのを観に行くとは思わなかった。ちなみにノーラン作品は今年ローラー作戦のように観ていって、昔観た作品を合わせればもうすぐコンプリートしてしまう。まあ、やっぱりノーラン作品は面白いので、どっかで一度文章にしてもいいなあ。

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インターネットで短歌をしていると、自分の短歌が認められたい、採用されたい、の気持ちを目にするし、当然それは僕だって思っているのだけれど、やっぱり傾向としてはそれが強すぎると感じている。僕は淡々と一首評をしているが、それが変にそのような欲望を満たしてしまう(あるいは、誰かの欲望にとってストレスになってしまう)ことが嫌になってきてしまって、Twitter上で一首評を紹介することをやめてしまった(当然、誰かに読まれることは前提に書いているから、評した歌の作者に届くことはありがたいし、評を喜んでくれたら嬉しいとも思っているんだけど、それでも作者のために評を書いたんじゃないということを自分の中で態度にしておきたかったってことだ)。短歌を評価されたい/評価したいの需給バランスは現在大変に悪いように感じていて、供給側も需要側を満足させるような評の展開が大多数になってしまっているように思う。それはそれでいいことだし、僕も評価いただいたら嬉しいんだけど、そういうのから逃れて、もっと淡々と自分のために評をやっていってもいいんじゃないのかなあ、と今年は特に思う一年だった。

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「コロナ太り」という言葉があるけれど、僕もまさにそれで、営業時代に最も太っていたときよりも3キロ、去年よりは6キロも太ってしまった。帰省をとりやめた年末年始、家でぐうたらしていることは間違いないので、さらにいってしまうかもしれない。ということを妻に愚痴ると、ごはんの量を減らそうか、と言ってくれて、それはそれでいやだしごはんは食べたいから断って、運動をする方向に行くんだけれど、寒いからサボりがちで、これってもしかして僕はダメ人間ですか?

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来年は主催している短歌連作サークル「あみもの」を閉幕させる。自分でも、よく三十六回もこれやったなあと思うし、あと三回やるんかいとも思っている。こんなことを言うのもなんだけど、「あみもの」みたいな企画がすぐに他の人の手によって立ち上がるといいなと思っている。何年かおきに、別の人が交代交代でやっていくのがいいんじゃないかなあ、とも、勝手に思っている。

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妻が、年末にDVDで「ボヘミアン・ラプソディ」を観たいと言ってきた。10回目かよ、すごいな。毎年観たいらしい。まあいいや。今まで僕が発表してきた短歌連作の中で一番気に入っているタイトルが「毎年同じ時期に同じことをしていい、しよう」なんだけど、今年をそれで締めくくるのが綺麗な気がしてきた。

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今年もほうぼうにお世話になりました。来年もお世話になりますので、どうぞよろしくお願いいたします。


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