2023評bot (9)
評botの公開評をここでまとめています。どうぞよろしくお願いいたします。
一度の記事で最大4評とし、特に溜まっていなかった場合は1評でも記事にすることといたします。
趣旨はこちらのツイートをご参照ください。なお、本ツイートの募集期間は終了しております。
それでは始めます。なお、ご利用者様の筆名は敬称略表示とさせていただきます。ご了承ください。
なんとなく、この歌でいうところのカギカッコの意味合いってなんだろう、みたいなことを思いました。作者としてはそこまで意図があるかどうかはさておき、この歌自体の類想は(おそらく)それなりにある気がしていまして、私が思いつくものとすれば
になるのですが、「言ったこと」と「言った人の属性」を明らかにするレトリックだと思っています。
同じことを言うにしても、誰が言ったかによって受け取り方も様々ですので、「こういう人が、言うのか」から受け取れるものを詩にしていく感じと言いますか。詩にするというか、いじるというか。引用歌は「横浜」も「28歳」も「無職」もぜんぶいじりに行っている感じがします。
投稿いただいた歌なんですが、セリフ自体は突飛だなと思いつつ、これは人によるのかなあ、すみません、私は「21歳の女性学生が言いそうだな」と感じました。つまり、「ああ、言いそう」以上のものがなかったといいますか。ここで納得感はあるのですが、この歌の構造って、それだけではもったいない気もするんですよね。それがだめだとは思わないんですけれども。
また、最初の提示に戻りますが、(21歳女性・学生)とあるのなら、前半のカギカッコはなくとも、意味合いは通じると思います。あっても邪魔にならないので、なんでつけたんだろうとまでは思わないのですが、こう、どこか、ここで書かれていることは主体は全然関係ないですよ、みたいな感じも受けて、私はちょっと突き放された気がしました。
もっとも、このような歌にも主体がいるという読み方そのものがおかしいのかもしれませんが、私は短歌をそのように読んでおります。
ご利用ありがとうございました。
これはいい歌だと思います。ここから「あなた」が「我が家」に受け入れられていくであろう予感、を綺麗に描けているのではないでしょうか。この「受け入れられていく過程」というのは、主体だけでなく、主体の家族も含めて巻き込みが必要なことと感じますので、そういう、主体だけじゃどうしようもない他人の部分も「あなた」はクリアしそうだ、という予感は、ふつふつとあたたかく感じられるものです。
この「あなた」が、主体の家族になるのかどうかですが、私はそういうところまで書いている歌ではないかな、と感じました。例えば主体と「あなた」が結婚しそうな感じだとすれば、いずれはこの「我が家」を出ていくことになるでしょう。そのとき「これからあなた専用になる箸」は、おそらく新調されるでしょう。
あくまで、「あなた」が「我が家」の常連になっていく過程、そういう範囲までを詠んでいるように思いました。どこまでいっても「箸」は「我が家」にとどまったまま「あなた専用」になっていくはずです。仮に「我が家」においても新調されるとしても、それは同じことです。
「食べる」と「ご飯」のように、言葉の意味がかぶっている語の選択がされており、例えばここを工夫すればより動作や景を深堀りすることはできそうです。ただ、どこか意味上のリフレインめいた構造がこの歌の感慨によく効いているように思いますので、個人的にはこの歌のままでよいのではないかと感じます。
「ご飯」についても、これくらい一般化しておいたほうが、この歌においては、今までの「あなた」、そしてこれからの「あなた」が食べるであろう全てを言いに行けているようで、好ましいです。
ご利用ありがとうございました。
投稿時のコメントから、「もう二度と見えない星」は、いつか滅びゆく記憶のメタファーで、「シーグラス」は、記憶と対置された「形あるもの」として、残ってほしいものの象徴であるように読みました。なるほど、星とシーグラスの対比は、ややつきすぎかもしれませんが共感できますし、良い取り合わせだと思います。
気になるのは、「見えない」なのかということです。「見えない」というと、「自分のせいでみることができない」というニュアンスが薄れ、「外的要因で見ることができない」というニュアンスが強まります。自身の記憶というモチーフになぞらえたとき、これでよいかはご検討事項かとは感じます。
「見えない」なのか「現れない」なのか。「もう二度と~ない」の構文でよいのか。ここは、わりといじくっていけるところだと思います。
「シーグラスの青」も、ちょっと惜しいなという気がします。歌においてシーグラスは握られていますから、手が邪魔をして色がわかりません。もちろん、隠れているなかでも「青」なんだ、という把握でも読めるのですが、どちらかというとこの歌はシーグラスの色よりも質感をうたいに行っているように思えて、こういう落としどころでいいのかなあとは感じました。
また、文体は作者の自由だとは思いますが、「恋うごとく」という固めの文体のすぐあとに「握りしめてる」という口語全開の表現があることに、ギャップはあります。そういう異なる文体をぶつけておもしろくしていく歌の作り方自体はあると思うのですが、これはちょっと、くっつけた感が勝ってしまうかな、と考えております。
ご利用ありがとうございました。
「振ったって続けるLINE」とは、恋愛関係が終わって普通はLINE連絡もとらなくなるのに続ける、しかも振った側が続けることと読みましたので、客観的に変だなと感じます。
また、「流行らない気がした映画」が「流行る」のも、主体からしたら変なことでしょう。この、「なんか変だな」がリンクしている歌なのかなと思います。
この二つを「真冬」で結ぶのは成功しているのかな、と感じます。冬という言葉にどこかあるドライさや寂寥感、感情的な意味での湿っぽさ、そういったものはここで提示しているものとマッチしているでしょう。
どことなく、「流行らない気がした映画」がはやるということは、「思い通りにいかないな」という感情があると思うのですが、「振ったって続けるLINE」からは、それがありません。振られたのに続いているLINEとか、振ったのに続けさせられているLINEとかならあるんですけど。
もっとも、ここの感情まで合わせに行く必要はなくて、ただやっぱり「振ったって続けるLINE」が、誰が振ったのか(主体か、相手か、第三者か)というところまで含めて気になってくる、わかることで読み筋も変わってくるようには思います。
ここは、一首で書き切るのは難しい気がしていて、他の歌と合わせて立てるというのも戦略かなと感じました。
韻律上の気になったところとしては、四句から結句にかけての助詞抜きです。助詞抜き自体は別に良いのですが、歌の構造が、初句から二句にかけて体言止めがなされ、三句から四句にかけても体言止めになっているように読めてしまいます。
そのせいか、この歌は「気がした映画流行る真冬に」を続けて読ませたいであろうものの、ここに溝が生まれているように思います。ここは、字余りになろうと助詞を補われた方がよいように感じます。
ご利用ありがとうございました。
今回は以上です。また、今月募集しました評botはすべて終了です。全46首の投稿、ご協力ありがとうございました。
今年は、何度かこれをやろうかなという気になっております。やらなかったら申し訳ありませんが、よければまたお付き合いください。
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