評bot 2


今回もはじめます。趣旨は以下のツイートをご参照ください。


階段はグらリと揺れて恋を呼ぶチョキで一度も勝てない君へ /しのだ めい

グリコのやつだ、と思い、グがカタカナなのはそういうことね、と思い、あれ「リ」もカタカナかと気づき、グリコって言いながら階段を行っているときなのかと思い直し、とすると「恋」に「コ」があるのかなという感じです。「チョキで勝てない」のもグリコっぽいよねと感じます。チョキはいっぱい進めるので。

「チョキで一度も勝てない」のは主体なのか「君」なのかどっちなんでしょう。なんとなく自分がグーを出し続けるから「君」はチョキでは勝てない、感じで読みました。歩みが遅いけどグーで確実に近づいていくってことでしょうか。

ここに読み筋としての自信が持てないのは、「揺れて」というのがよくわからなかったからです。「階段」で「揺れる」と、貧血で倒れるみたいなものを想像してしまって、「グリコ」の動きをはみ出ているような印象があります。それが難しいです。上手いこと言った! の歌なんですが、この上手さが実景の動きに絡んでくれていないというか、空回りしている感じがありました。心情面では絡んでくれているなとは感じたのですが。

ご利用ありがとうございました。


最低な態度を示しその後に尻尾振りつつアイス食む君 /成瀬悠

「君」が、「最低な態度」をとったのに、悪びれるでもなく「尻尾振りつつ」アイスなんか食べている、の、歌だと思います。そう書いていますので。この「君」やだなーって思います。そう書かれていますので。そして、書かれている以上のことは読むことができない歌だと感じました。もちろん、「やだなー」と心を動かされましたけど。

おそらくですが、この景を短歌でやろうとおもったときに、もっと引き出せるものがあると思います。一つは「最低な態度」が「どんな態度」だったのか。なぜ「最低」かっていうと具体的ななにかがあるはずです。むしろ、その具体が先行するはずなのです。そちらを書けば、それを伝えられますし、その上で「最低だな」もくっついてくるのではないでしょうか。

もう一つが、主体の「君」に対する気持ちです。ひょっとすると、主体は「君」に対して「しょうがないなあ」なのかもしれません。「許せねえ」なのかもしれません。それを読み手に委ねたい、という意図ならともかく、明確なものがあるのであれば、示すのもよいのではないでしょうか。その際は気持ちをそのまま書くよりは、たとえば「そのアイス」がどう見えているか、みたいなものを通して表現していただくと、読み手としては受け取れるものも多くなるのかなと思います。

ご利用ありがとうございました。


アレクサ、善いサマリア人の話して わかりませんが今日は春です /酒田現

自分のSiriにこの質問をしてみたところ、「その話は前にしませんでしたか」と返ってきました。するわけねーじゃん。でもなんかそのおかげで「わかりませんが」に説得力が増しました。こんなものなのかもしれません。

というのも、アレクサやSiriといったAIは、背後に膨大なデータベースがあるので、「善いサマリア人の話」をしてくれって言ったら、「この記事を参照してください」みたいな提示をするんじゃないだろうかと直感したのです。この「わかりません」はむしろ非・機械的で、「今日は春です」はもっともっと非・機械的なのです。そこは面白いと思います。

その上で、この歌が事実なのか空想なのかというのは大事で、「本当にあった」のならそういう書き方にした方がよりよい歌になったと思います。空想なのだとしたら、これは一つの喩なわけで、その喩を通して自分の心を表現したほうが良いのではないでしょうか。面白い歌ですが、その一歩を特に感じなかったため、面白い、で、終わり、通り過ぎてしまう余地があると感じました。

ご利用ありがとうございました。


愛情を突き返されたこんな夜は喫茶店主の嘘聴きにゆく /珈琲と俳句

「嘘」という言葉回しがおもしろく、この歌の読みどころになっていると思います。愚痴を聞きに行ってもらって、なぐさめの言葉をもらいにいくが、それが「嘘」だということは分かっている、というように読みました。もちろん、喫茶店主が聴いていて楽しい嘘をついてくれるのかもしれないですけども。

ということで、どんな「嘘」が繰り広げられるんだろうかと気になりますし、そこに奥行きがあると思います。一方、上句の「愛情を突き返されたこんな夜は」が、やや冗長です。575をフルに使うほどのことじゃないように感じます。とくに「こんな」が指すものが前に現れていますので、繰り返すことで強調効果があることは認めますが、やっぱりもったいない気がします。

あるいは、「突き返された」という具体的なエピソードをより深くしてみるとか。そんなときに聴く「喫茶店主の嘘」であれば、嘘のほうに深掘りがなかったとしても主体の動きがクリアになるのではないでしょうか。前半と後半、どちらによりフォーカスすべきかは作者しか知りえないことだと思いますが、現状はそこがやや半端である気がしました。

ご利用ありがとうございました。


銀河というSNSの端っこで二酸化炭素botの僕ら /ふじこ

「二酸化炭素bot」という言葉がおもしろいです。botというと意思の存在しない自動化のイメージがついてきますが、それは事実です。呼吸による二酸化炭素の排出は「僕ら」みんなbotなのです。これは、それ以外になにもしていないような印象もあり、ただ呼吸しているだけの人々という示し方につながると思います。

SNSで銀河を例えるのもこのbotといわば縁語関係にあり、マッチしているとは思いました。その一方で、「銀河」を「SNS」としてくくるの、どうなんだ・・・? みたいな気持ちもあり。SNSってソーシャルネットワークですよね。このネットワーク、地球を超えてあるのだろうかなんてことを考えてしまいます。

上手いこと言うというのは、ある種の雑なまとめ方を孕んだもので、キャッチコピーとしては面白くても短歌の読みとしてそんなにいい影響を与えないことがあるように感じます。「銀河というSNS」「二酸化炭素bot」の二つがそれに該当すると思いますが、後者はよくて前者がよくないように感じました。もっとも、こういうのが好きと思う人もいるはずです。ただ、後者は喩の本質を捉えている一方で、前者はそうでもないというのが私の意見です。

ご利用ありがとうございました。


今回は以上です。


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