『パンイチ』論考 小池佑の短歌

小池佑さん(以下敬称略)がフリペ(のちにネプリ)の自作短歌集『パンイチできみのツイート遡るとき気になっているインカメラ』を出したのはもう半年以上前のことで、僕はたまたま歌会で一緒してそれを直接いただき、ニヤニヤしてその後の拡散具合を眺めていたのだけれど、そういえばあのとき「全評していいっすか」などと小池佑に言ってしまっていたのだった。

なにせ僕は小池佑の短歌が好きで、それはたぶん短歌の中で紡がれる人間関係にやられてしまうからではないかと考えているのだけれど、まあそういうのはおいとくとして全評とは僕も大きく出たものだと思う。
当然快諾されたわけだけども、読めば読むほどこのフリペは自分で手にした人が密やかに楽しむもので誰かの全評は野暮じゃねーかなーと感じるようになり、なんとなくできないでいた。ところ、つい先日小池佑みずから画像で全公開されており、時期的にやるころかなあと感じた、のでやる。

ところが冒頭に述べた通り公開から半年以上経っていて、僕がネット上で言及しないでいるあいだ、小池佑を好きな方々がどんどんあの良さを部分的に語っていったもんだから困った。いまやるからにはそれなりにちゃんと書かなきゃなあ、なんて思いつつ、あんまし堅っ苦しいのは僕にも小池佑にも似合わないだろうと感じるので、思うままに書き連ねることにする。

前置きが長くなったが本題だ。略称を積極的に使っていくが『パンイチ』は見開き型の構成で、四分割された状態で小池作品を楽しむことができる(一部デザイン上またがっている短歌もある)。どれもこれも小池エッセンスがつまっていやがるとつい遠目で見てしまう(褒めてる)が、やっぱりこの分割にはそれなりきに意味があるよなあと思う。

私では補えぬものがあるらしい君がサラダを山盛りにとる
脱がぬまま帰ったこんなことならばガトーショコラも頼めばよかった
こんなにも泣かされているマーガリンとバターの区別がつかぬ男に

いきなりやられてしまうが主体と君との関係の歌だ。小池短歌の興味の焦点はそこに向けられているものがとても多く、そのほとんどが「パーフェクトには」うまくいってない。だいたい主体の方が満たされてないのだ。だからサラダに嫉妬するし、ガトーショコラに遠慮するし、マーガリンとバターに負ける。

帰したくないからだって信じよう私のリュックは枕にされて
衝動の中の冷静私たちとソファーの間にTシャツを敷く
寝落ちした裸体に服を着せていく どこから愛は重たいですか

「私」はいつも相手を気にしている。それはもちろん重いことで、主体はそこにとても自覚的である。二人の関係は悪そうではない。Tシャツを敷いてセックスもできるし、そのあと服を着せてあげることもできる。ひょっとしたら相手はこの距離感がここちいいのかもしれない。けれど主体は、これじゃ足りてないのだ。

君としか使うことのない筋肉であるこんなとこ、初めて痛い
絆創膏貼ってもらえる人生であることだけは誇りに思う

やっぱりいい関係だ。けど、なんか距離を感じている。小池佑の短歌には、関係性として「近さ」を求める傾向があるように思う。しかし現実は希望ほどは近くなくて、遠いなー、って思ってしまっている。そこに、わがままな祈りがあるような気がして、読むとやられてしまう。以上が四分割の右上にまとまっており、つまりはそういう感情が入ってるのかなあと思う。『パンイチ』の右上、近くて遠い君説である。


私達疲れているね脱水の音に合わせて踊るだなんて
百均の手錠は結局使わずに健康的な前戯を終えた
それ以上思い悩むな箱の裏通りに作るカレーは旨い

『パンイチ』右下にいくとちょっと疲れ出す。幸せ成分がないことはないんだけれど、じわじわと孤独になりだす。脱水の音に合わせて踊るしずけさ、百均の手錠を使いたかったのはどっちなのか感、そしてカレー。「悩むこと」のあほらしさをカレーにたとえているだけの歌でもいいんだけど、どうも自分自身に言ってる気がする。そんなときのカレーは一人で見ているように思う。

とりあえずアフリカの子どもたちのこと一旦忘れていただけますか
あほみたいにハイテンションな音楽に合わせてひとりひじきを戻す
どうしようもなくひとりだなじゃらんから推される貸切露天付宿

じわじわひとりが加速する。それは『パンイチ』右上にあった君との関係性の不在を想ったりすれば、よくわかんないけどひとりだったりする。しかしそれでもひじきを戻すしじゃらんを見る。生活は確かにあって、欲しい関係性も足りなくて、あるのは妙な情けない笑い。これはこれでまたやられてしまう。

子がはしゃぐキッズルームの壁紙がマジックミラー号のと同じ
まごうことなき愛君が好きならばファンキー加藤もヘビロテで聴く
禁煙をしたからこの蛾の大きさを画像で君に伝えられない

マジックミラー号やファンキー加藤など、倫理的にモニョモニョな属性をもちだしてくるのも妙な笑いを呼ぶ。主体の等身大な思考と生活が見える。そしてやっぱり子はうらやましいし君との距離は遠い。さっきとはちがって足りないとかじゃなく、ない感じだ。禁煙の歌は『パンイチ』中、個人的白眉だと感じるのだけれど、とにかく相手と遠いときの小池佑は最強なのではと思う。

カントリーマアムかよなんかちょっとさりげなく小さくなってない?愛

そういうことなのだ。『パンイチ』の右下には生活をベースに「ひとりだYO」みたいな哀しさがある。「ひとりだよ」じゃないし悲しさでもない。「ひとりだYO」みたいな哀しさなのだと僕は強く主張したい。


もうちょっと褒められるべきTシャツのロゴを崩さず着られる胸は
あなたくらい美人に生まれていたならば使えただろう付録のバッグも
トリセツのある女よりない私の方が全然めんどくせえわ

『パンイチ』左上である。こちらになると、自意識が目立ちだす。自分の視線が自分に刺さってる感じ。貧乳の悩みだったりファッション誌だったりJポップだったり、生活のいろいろが主体を悩ませる。そこに深刻さはあるのだ。けれど、笑いを誘ってくる。つらい歌を読もうと身構えたガードを、へこへこしながらくぐってきて、すいませんねと殴ってくるのだ。ちなみに小池佑短歌は貧乳ネタが多く僕が言及するのも気がひけるが、『貧乳の熟女がいないと気がついて未来を憂うコンビニの隅』というのが個人的にはちゃめちゃに好きだ。

おもちゃみたいな色で唇塗ってみる「いまからぜんぶうそってことな」
ごめんって言われながらするセックスは想像したことあった よかった
ブランドのバッグをねだる方がまだマシなのでしょう手紙よりかは

繰り返される君との関係性も、主題は自意識であるようだ。自分の唇、妄想、手紙の重さ。ところで小池佑の韻律は余ることが多いのだけど、これは余りというか「凝縮」な印象がある。57577の枠はあって、それをはみだすつもりはなくて、音の多いところは枠の中でぎゅっと詰めて読んでくれ、みたいな。ものを、僕は勝手に感じてしまっていて、勝手に影響された。僕の短歌も大概、余りより凝縮である。

夜用の尻の部分に刻まれたハートのマークふざけんじゃねえ
ホワイトと名のつく錠剤7つぶ飲み込み明日も女で生きる
飼い猫が子を産む夢を見るほどに焦ってはいる(飼い猫はオス)

セックスがあればその先に子供はあるわけで、そういったところへの焦りなるものは小池佑短歌にしばしば出てくるが、それを自意識として片付けるのは乱暴だ。相手あっての話であるし、なんなら急いていいところ。けれどどこかこの主体は自分が待って引き受けつつ、勝手に焦っているような感じがあり、そこがかえって共感を呼ぶのだろうと思う。

間違いを起こさぬように念のためブラジャーは青、パンツはピンク

自意識型の小池佑の代表歌ではないかと思う。結句が「パンティーは赤」だと逆にダサいのだ。パンツ。あくまでパンツ。


綾野剛、最近君に似てきたね 君中心で世界はまわる
エンディング曲は私が歌うから早送りせずに流してくれる
氣志團の前奏流れ二人とも黙る来る来る「「おれんとここないか」」

『パンイチ』左下は一転、二人の関係が近くて主体も満足げになる。ドラマ、カラオケ、日常の中の安い日常で全くよくて、飾らないどころかさらけ出してる印象だ。しかしこの流れで読んでしまうと泣ける。うそ。泣いてはない。けど、よかったねえって思う。氣志團の曲、結婚のアレと勘違いしちゃったりする。

お姫様みたいと思う温玉を私の分も割ってくれてて
お姫様抱っこでベッド クソさむいこともいっぱいしてから死のう
愛し合うときだけなぜか標準語なっててうちらめっちゃダサない?

小池佑にかかればラブラブワードもどこかズレる。まるでラブラブワードがそのままの意味で現実に落とし込まれることなんてねえよと言いたいかのように。むしろそれが、主体と相手の生活の真実であるかのように。めっちゃダサない?と言いつつ、ダサいのはラブラブワードに踊らされる方なのだ。

必要とされる幸せサロンパス一生上手く貼れないでよね
凄まじく寝相に巻き込まれている 私たちきっと上手くやれるよ

ようやく、最後にしてようやく、素直な幸せな歌が出てくる。視線のサロンパス、寝相といった生活感は必ず崩さずに。くしくも「上手く」という表現の重なった二首。こういうタイプの歌があることで、読者の心はなおさら掴まれてしまうのではなかろうか。


順番に見ていくと、あたかも四分割の中で起承転結の流れがあるように感じられる(し、結が幸せじみているのでとてもよく思える)が、僕はあまりそれに賛成しない。なにせじつはがっつり計算して配置等を決める小池佑だ、作品集とするにあたって系統立ててまとめていったに違いない。
つまり一連としてストーリーを見出すタイプのものではなく、一首立ちというベースの中でのリンク感を押し出しているレイアウトなのではないかなあと思うのだ。

タイトルにしても、全てを言い表す一首ではないだろう。まあ、「君」を絶対漢字表記する小池佑が唯一ひらいてるな、とかは思うわけだけども、そこまで類推はしない。

しかし今驚いていることは、この記事を書いている時間の短さである。そりゃ何度も読み返したフリペであるし、何首も暗記しているけれど、2時間かかってない。仮に同じ分量の自分の歌に自解をつけるにしてももっとかかるのではないか。
というのはやはり、『パンイチ』のリーダビリティの高さなのだと思う。読んでするする言葉が出てくる、いいと言える。これって凄まじく大事なことだと思うんだよなあ。

たぶん僕と小池佑はわりかし仲が良くて、でもどっちかがちやほやされたらたぶんくそーって思ってて、でもでもツイートを「いいね」しといてから時間差でRTしたりされたりする。
どっちかというと歌風を固定したい小池佑と、そこからできる限り逃れたい僕と、言うほど短歌の趣味も合わないし、僕の歌で小池佑にヒットする率はまあまあ低い。
けどまあネットで短歌やってる人でオススメの人はと言われてしまうと僕は小池佑を出してしまうのだ。その理由は、ここまで語ってきたことからわかっていただけると思うし、もしこの文章ではじめて小池佑を知りましたという人がいたなら、本当にうれしいことだ。

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