評bot 7

今回も始めます。趣旨は下のツイートをご参照ください。ご利用者様は敬称略にて失礼いたします。


ごめんなあ、私産まにゃあ良かったわ ざんげざんげと雨は降りつつ /深海 若

主体のことを、産まなければよかったと言われたのかなと読みました。めっちゃショックだと思います。方言がまじると本当にそう言われた感が増して、心を動かすいい歌だと思います。その後に沈黙があるからこそ、「雨は降りつつ」なんだろうなと思いますし。すごくいい歌です。いい歌なので、以下は読み流していただいてもいいと思います。

「ざんげざんげ」とある中で、懺悔しているのは「生まれたことに罪悪感のある主体自身」とも読めますが、やはりこの告白をしている側だと思います。そうすると下句の雨の心象は相手の心象でもあり、主体が相手の心象を決めに行っているということにもなります。このあたりの上手く言ってしまった感が、ことの重大さを邪魔している、と読む人もいるかもしれません。卑怯な言い方になりました。私はそう読みました。

このような題材を扱う際に気をつけなければいけないのは、普通にエピソードとして散文的に語っても同じ、にならないようにと言うところだと考えています。せっかく短歌として切り出すのですから。この歌は雨のなぞらえでしっかり短歌しているなあと感じますが、まだまだ、エピソードの重さに寄り掛かっている部分は大きいかなと思います。

ご利用ありがとうございました。


傘をたたむと一匹の猫がいた 四本脚の夜みたいな /さらさ

これは誉め言葉としてなんですかこれは、って印象です。上句の提示は手品的で面白いです。傘をたたむ動作を終えたら現れる猫、傘に書いてあってってことであれば表現がちょっと足りないと思いますが、その唐突さは読み手の不意を突くと思います。

その猫が「四本脚の夜みたい」だろうと思いますが、この微妙にかぶった比喩が面白いです。「夜みたいな猫」でいいのに、わざわざ「四本脚」を言い足すことで、「夜」のほうを「四本脚」にすることに成功しています。そこに生まれる夜の移動のイメージです。楽しいですね。

とはいえ、リアル猫なのか傘の猫なのかという読みのブレが出てしまうことはこの歌にとっては幸せなことではないように思います。下句も字足らずで、これじゃダメとは思いませんが、そのあたりもうちょっと整えて定型で繰り出してもいい歌のような気がします。

ご利用ありがとうございました。


NASAからは一番遠いこの村が星に一番近いと思う /梅鶏

第一印象は、正直よくない歌でした。なぜかというと、「この村」、「ほんとに」「NASAから一番遠い」んだよね? と思ったからです。レトリックが誇大広告に陥っている疑いがあります。事実、「NASAからは一番遠い村」というのは存在するのです。どこかはわかりませんが。そういうものを踏みつけてませんか、という反発がありました。

しかし下句のバランスを考えると、これは物理的な距離の話をしているわけじゃないな、と思い直しました。近代的で、技術的で、天体的な象徴のNASAからはほど遠い、田舎の村だからこそ、自然に星がよく見えて近い、という、心の距離の話をしている。そういう意味で、この歌は上句と下句の比較がしっかりとバランスよく取られていて、ブレないところがあるな、と心が動きました。いい歌です。絶妙に言い切らず「思う」で締めていますし。

ただし、どこまでいっても「一番」は、雑な最上級です。これを言うことで、「本当の一番」と戦う必要があるからです。それでも言いに行くことが、素晴らしい短歌として成立することはあると思います。事実、この歌の「一番」で心が動く人は多いんじゃないかと思います。それと同時に、「一番」で目を伏せる人もいるでしょう。「一番」は、そういうレトリックだと考えています。

ご利用ありがとうございました。


夢の中では山々を走る犬 首には樽を装備する犬 /新棚のい

一瞬、めっちゃ面白いなと思ったんですが、この面白がり方が作者の意図通りなのかわからないので、とんちんかんなことを言っているかもしれません。

上句はもう書いてあることそのまんまという印象で、そういう景を出してきてからどうするか、みたいなところが大事だなと思ったんですが、「首には樽を装備する犬」と、「現実の方の犬」をディテール細かく書いてきたな、という落差を感じました。しかも「首」に犬がいるのかよ、みたいな。その夢うつつ感がいいなーと思いつつ、あれこれそういう歌ではないのでは? 全部「夢」の話なのでは?となりました。

そう読むと、「首に樽」ある犬ってもしかしてセントバーナード的なやつかとか、だったら山にいてもおかしくないよな、とか、腑に落ちまくっていって、となるとこれ「夢のなかで犬が出た!」って歌、だよな・・・と、さすがに短歌のパワーの低下を感じてしまいました。

この一字あけが、場面転換を暗示するように読めてしまったのですが、共通の景のなかでタメをつくるだけであれば、わざわざタメるほどじゃないかなあとは思います。ただ、描かれている犬はなんだかいいなと思いました。

ご利用ありがとうございました。


鉤括弧の中だけ変な声で読むやさしい君がやめた留学 /窪田悠希

「鉤括弧の中だけ変な声で読む」の、絶妙な「あるある感」を持ってきただけで短歌になっちゃうよねえというのがまずあります。わかる。そういうことしてしまうこともあるし、してしまう人もいる。そういうときの「コミュニケーション5秒分」くらいが想起できるんです。こういう5秒間くらいを思わせるのはすぐれていると思います。

結句で「留学」に話題が飛び移ります。このご時世なのでコロナ禍とつなげて読んでしまいますが、それがないほうが歌としてはよく読めるかなというのが正直なところなのです。やっぱりこの「やめた」には意思があったほうが「君」の短歌として読み筋がスッと通ると思います。

「やさしい」にしても、「やさしいけどやめた」というつながりがあるから効いている歌だと思いますので、なおさら「コロナで行けなかった留学」の読みは、個人的には排除していきたい感じはありました。留学が「行かなかった」ならすごくいい歌だと思いますし、「行けなかった」なら、「やさしい」をわざわざ書いたのはなんでかな、みたいな感じはあります。なんか、言葉が社会の影響を受けるのって良し悪しあるなということに気づきました。

ご利用ありがとうございました。


今回は以上です。


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