ネプリ・トライアングル(シーズン3)第二回 感想


なんかな、アナウンサーが泣きながらニュースよんでたときがあってん/多賀盛剛『秋』

アナウンサーが泣きながらニュースを読んでいたのを僕も見たことがある。ものすごく短歌になる素材だ。背景だらけの強いシーン。それを、「なんかな、」でついでのように受けて、「なんでかわからんのやけど」くらいのトーンでさらっと言う。そこには距離がある。普通そんなものを目にして距離のある言い方はしなくて、だからこそ、そんな風に言う話の流れまで気にならせる。

多賀さんの今回の連作は枡野浩一的な作風の強かったものから、ベクトルで言えば今橋愛に振ってきているような気もする。かんたん短歌の真髄である、誰でもその通りにわかる、そのごまかしのきかなさを実現しつつ、関西弁の語りと無邪気さをともなってハッとさせてきたり、心を揺さぶってきたりする。パワーがすごい。

なんかいもまちがったらロックされるのん、ひとのこころみたいやなっておもう/同


くしゃくしゃにきみが笑ってこわくなる一週間の機微がこぼれた /水沼朔太郎『週末ぐらい』

植物園だろう、笑う君を見た。きっと一週間くらいかけて準備してたお出かけの予定だったのだ。計画というものはあれこれ思いを巡らすものだ。どうしようかなと心細かになるかもしれない。それを機微と呼べるかもしれない。そんな些細さを吹っ飛ばすくらい笑顔を見せられたらこわいまでいくのかもしれない。と読んだ。

虚構の可能性ももちろんあるが、水沼さんの実生活ベースの心の動きを水沼さんのリズムで組み立てていく連作で、今回は特に、引いた歌の「機微」のような、ちょっと放り込まれで引っかかってのめり込みにいくような言葉が目立った。それは僕にとっては初孫だったり如意棒だったり電子レンジだったりするのだが、きっと水沼さんの中ではそれは生活に立脚していて、しかし多少の省略をもってもちこむことで歌になるとわかって組み立てておられるようで、そこが面白い。

週末ぐらいは電子レンジを忘れよう植物園に向かう4人で/同


気の遠くなるようなのむヨーグルトそんな長さをストローで吸う/狩峰隆希『福』

のむヨーグルトを飲む歌。の、のむヨーグルトに、前から後ろからレトリックが襲う。「気の遠くなるような」というとなんだか実景っぽくない比喩で、その非現実っぽくしたのむヨーグルトを「そんな」で受け、「長さ」につなげ、なんとなくわからせる。あの粘性の液体が、ストローでじわじわあがってゆく長ったるさ。もう一度現実に返してくれる。

狩峰さんの歌は上手い。修飾、接続、どれをとっても当たり前にはせずわけがわからなくもせず、歌を芯として周辺をぼやっとおもわせてくれる。タイトルの『福』を見出すような連作ではなく、歌から立ち上ってくる情景に、僕たちが福をさがしにゆけるような連作だ。

川に氷が横たわっているということをその気になれば意訳できたが/同

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?