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1月 雑感

たぶん毎月書く。


年が明けてからというもの、寒すぎる。体感だけじゃなくて、さんざんニュースでやっていることだし、ほんとうにみんな思っていることと言ってよさそうだし、それでも書きたい、寒すぎる。
我が家では湯たんぽを買い足し、毛布を買い足し、入居3年目となる(そこそこ)気密性の高い(はずの)賃貸住宅でなんとか眠って暮らしているが、そもそも去年やおととしの冬はどうやって越していたんだ?と不思議になる。

譲りたくないのが、暖房だ。夏はエアコンをフル回転させるが、今まで冬は使ってこなくて、コタツでなんとかしのいでいたんだけれど、コタツってコタツに入っている部分しか効果がなくて、困る。この前、コントローラーをコタツに突っ込みながらゲームをしている自分に気づいた。気づいた流れも、なんか耳が冷えるな~と感じだしてからの、手をコントローラーごとコタツに入れてるじゃないか、というものだったから、笑えない。
コタツに囚われたまま上を見ると、エアコンが「呼ぶなら呼んでくださいね」って感じで壁に貼り付いている。しかし昨今の光熱費高騰もあって、なんだか頼りたくない。エアコン周りとコタツ周り、文字通りの気温差があるからか、空間がぎしぎし軋んでいるようにも感じる。そもそも光熱費はなんで高いんだっけ。世界情勢だっけ。ぎしぎしぎしぎし。住居空間から陰謀論が生まれてきそうな冬だ。


そんな冬の会社のトイレでうんこをしていて気づいたことがある。僕が勤務する職場のトイレは個室が二つあって、決して多いとは言えないからしょっちゅう両方埋まる。
その片方が自分であったときの、「個室から出ていくときにもう片方の個室に入っていた人と出くわした経験」が、ない。
ちなみに僕が今の職場に来てだいたい四年だが、四年間たぶんない。個室でうんこをすることはしょっちゅうある。

これはなんとなくわかって、もし隣の人が出ようとしているのを音で察知したら、意識的に出ていくのを待つだろう。なんなら今日も、そうだった。
だからこそ、自分が出ていくときも、隣の人は「基本的には」そうなのだろう、ということは理解できつつも、それって所詮は他人の配慮だし、僕自身がコントロールできることではない。にもかかわらず、この個室同士には、そういう力学が働いている、ように感じる。
それに気づいたとき、なんだかふつふつとおかしくなってくる。大の男が、二人、尻を丸出しにして座りながら行う配慮。優しさというものが利己的な動機から生まれるものだとしても、それはなんだか温かいものだなと思う。
ちなみに職場のトイレはおととしから温水便座になってくれた。ありがとう会社。節電要請に負けないでほしい。


そんな会社から帰るとき、最近は走って帰るようにしている。前提条件として、僕の通勤はおおよそ20分程度の徒歩だ。また、走るといったって革靴だし、ビジネススタイルだ。リュックで両手をあけているといっても本格的には走れない。
ただ、僕は走るとき、2つのルールを課していて、まずは絶対に息切れしないスピードで走る。ともすれば早歩きのペースでもいい。速くいくことが目的ではなくて、走ってみることが目的だからだ。
もう一つが、疲れても、歩くんじゃなくて、歩くペースで走る。疲れないように走る。ポーズで走る。これが大事だと思う。

これをやったところで、大した運動にはならない。20分そこそこの通勤が、15分そこそこに変わるだけだ。しかも疲れないようにと言っても、疲れる。部活でやるような日常的な運動をやめてから15年も経つんだからそこはしょうがない。
でも、これしきのことなんだけど、なぜか「やりきった感」が生まれるのである。大したことはしていないのに、謎の達成感がある。お手軽だ。夏場になると逆に汗ばんでしまってやらないかもしれないんだけど、なんだかいいなと思う。ゆっくりとはいえ、長く走り続けられるという現実が、自己肯定感をちょっと上げてくれるし、早く家に帰ってゲームができるのもよい。


ゲームといえば、今月ハマり倒しているのが「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」である。今更かよと思う方もおられると思うけれど、実際そうで、発売してから5年は経過している。今年、続編が出ることだし、評価が非常に高いゲームだし、やっておくかという軽い気持ちで始めたのが間違いというか大正解というか、人生を確実にささげている状況だ。
アクション・謎解き・自由度・規模感どれをとっても最高で、これがニンテンドースイッチのリリース時の初期タイトルだというのが信じられない。妻の友人が、昨年末に出たポケモンの新作のことを、ゼルダと比べたら・・・みたいに言っていて、当時はそうなの?ポケモン面白いじゃんとしか感じていなかったのだが、これは本当にその通りだと思う。クオリティがおかしい。

ストーリーもよくて、100年の眠りから覚めた主人公が、すでに終わったことを追体験・追憶しながら進んでいくので、没入感がすごい。こういう引き込み方は、どんなジャンルでも強いんじゃないか。ゲーム中の不便さえもゲームのリアリティと言ってしまえそうな感じがあって、すさまじいの一言に尽きる。完璧だ。二言になってしまった。
今年はNETFLIXのデビュー、さっそく観始めた「ストレンジャー・シングス」への夫婦そろってのドハマり(いま、シーズン2まで観終えました)というトピックスがあるのだけれど、これの一気見の実現を阻んだのは、間違いなくゼルダだ。
それを妻に怒られるかというとそういうことはなくて、わりとプレイしているところを妻も見ている。ときおり「こうすりゃいいんじゃないの」「そこになんか落ちてるよ」といったアドバイスが飛んできて、だいたい合っているから、慧眼の持ち主だ。妻、ありがとう。


妻との生活として書くことといえば、映画「すずめの戸締まり」があるんだけど、この話をするにはまずアニメ「COSMIC BATON GIRL コメットさん☆」の説明をしなければならない。
このアニメは2000年くらいにやっていた、枠で言えば日曜朝の少女向けアニメで、打ち切りの憂き目にもあっているらしい妻のお気に入り作品なのだけれど、たいそう面白い。なんというか、説話的で、ハズレ回がまったくなく、教育的観点から見てもすごい作品だ。令和の世を先取りしたかのような世界観でもあると思う。確かにすんごく抑制的な演出が光ったアニメなので、打ち切り自体は分からないでもない。完全版DVDも売ってるのでぜひ。

で、このアニメで主人公のコメットさんは藤吉家というおうちに居候をするのだが、そこのお父さんが「藤吉家憲法」なるものを作っていて、自分の子どもやコメットさんに説くのである。「藤吉家憲法第23条・ごはんはみんなで食べよう」みたいな。
これが中々印象的で、妻とも「なんか憲法作るか」となったのだけれど、そこは我が家クオリティというか、「藤吉家憲法第2条・来ォい!!!!」というのが最初に出てきて、それで終わった。どんな独裁国家だよ。

やっと「すずめの戸締まり」の話ができるのだけれど、こっちはこれまた夫婦で観にいった。「天気の子」を二人で観にいったときは結婚していなかったはずだから、時は経つものだななんて思いながら。
で、スクリーンとにらめっこしてストーリーに触れていたんだけれども、なんだろう、ネタバレにはならないと思うんだけど、ヒロインのすずめが、物理的に危ない方向に行きそうになったときに、ヒーローの草太が「来ォい!!!!」と叫ぶシーンがあった。

この「来ォい!!!!」のトーンがあまりに我が家の藤吉家憲法のそれと同じで、僕は映画館で吹き出しそうになった。というか顔は完全に笑っていた。このシーン、「すずめの戸締まり」の中ではかなりシリアスでスリリングなところだったので、こんなシーンで笑うのはヤバすぎると思って必死でこらえたのだけれど、結果的にこの映画体験で一番印象に残る出来事になってしまった。
観終わってから妻に、その話をしたら、「私も言おうか迷ってたんだけど、笑ってしまった」とのことで安心した。そして、満員に近い映画館で、あのシーンで、二人だけ笑っていたのかということを改めて思い、ぞっとした。そういう夫婦でやっていくしかないのだろう。楽しいことではある。

以上です。

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