3月 雑感
あったかくなってきたのが嬉しい。
冬に入ると、必ずヒートテックの上下を着こんで出勤しているのだけれど、いよいよ下の方は着なくなった。その、初日の、体の軽さがいい。これは毎年経験しているのだけれど、いい。まったく痩せたわけではないのに、痩せた気になる。春は花粉症という不治の病のせいでコンディションがいいわけではないのだけれど、ここは楽しいところだ。
しかも今年は、靴下も違った。去年の冬、普段は事務屋をやっているにもかかわらず、一時的な事情で暖房がそこまで効いていないと噂の工場に応援出勤することになってしまったときに買った極厚の靴下がたいそうよかったので、今年の冬はこれで事務仕事を乗り切ったのである。
ヒートテックと同時にこれもやめたので、靴の中も軽かった。よかった。うきうきして、小走りで会社に向かった。その日だけ。
そんな春であるが、やはりWBCのおかげで楽しいばかりの一ヶ月であった。日本は強いし、劇的な展開の試合が多いし、何度も感動した。僕はスポーツ観戦なら迷わず野球が一番好きだと答えるのだけれど、これはなんでだろう。ルールが複雑で、極端な話は全員がボールを蹴っているだけのサッカーと比べれば、場面ごとに選手がやっていることが全然違っていて、見どころが多いからかなとは思っているのだけれど。それぞれがそれぞれの仕事をする、みたいなものが、すごくダイナミックに見られるスポーツだと思う。
大きかったのは、この一年が僕にとっての野球観戦復帰年だったことだろう。1998年ごろから阪神を推し続け、2003年の優勝で熱狂し、2005年のいわゆる33-4事件で心に傷を負い、2013年に社会人になるとちょっと足が遠のき、2016年から2020年はほぼ野球を見なかったので、今年は選手を覚えなおすのが大変だったのだ。
それこそ、ダルビッシュだ大谷だ、山田哲人だあたりはよくわかる選手だし、佐々木だ宇田川だ湯浅だ高橋宏斗だ大勢だといった「マジで今活躍しはじめた勢」も一緒になって追っている感があった。ただ、「ちょっと前からすごかった勢」が、いかんせんいまいちピンと来ていなかったので、恥ずかしながら、シーズン序盤は近藤や吉田は「こんなスゲー選手いたんだ」と思ったものだ。そういう、自分の中でもレジェンドな選手と、なんか知らない間にすごいことになってた選手と、今目の前ですごくなってる選手がいる中で、侍ジャパンとしても頑張ってる、というのが熱かったのかもしれない。とにかく今までで一番楽しいWBCだった。
月末からペナントレースが始まるが、ワクワクしかない。今年のセリーグはだいぶ読めないし、楽しく追っていけると思う。
そういえば、3月16日の日本代表対メキシコ戦は、妻の誕生日だったので、夜は外食していたのだけれど、岡本がホームランを打ったタイミングで店の外からすごいどよめきが聴こえてきたことをふいに思い出した。あれすごかったな。
楽しいつながりでいくと、今月観た映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が大当たりだった。アカデミーにめちゃくちゃノミネートされていた時から気になってはいて、めちゃくちゃ取ってしまったのでこれは観るしかあるまいと映画館に直行したのだけれど、これがほんとうにいい映画だった。
ダニエル監督の映画は『スイス・アーミー・マン』と『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』を観ていて、どちらもおもしろいっちゃおもしろいけど尖りすぎているわけで(『ディック・ロング』はやっぱりおもしろいとは言えないな・・・)、この人がオスカー?という疑いを持っていたし、アジア系の俳優さんが前面に出てきているところなんかから、ポリコレ意識作品なのかななんてことを思っていた。
全然違った。
何がよかったかの言語化が難しいんだけど、一言で言えば、イメージの洪水になると思う。映画のジャンルはSF家族もので、たぶんSFとしては、そんなに変ではないと思う。マルチバースの概念も「よくある」路線をやっていたと思うし、異なる世界に飛ぶためには「突飛な行動」が必要というスキームも、まああるよねというか。
ただ、それを提示する具象がすごすぎた。説明ではなくて、イメージを観客の脳にぶちこんでそのまま理解らせる感じ。何を見せられているのかよくわかんないけれど、今完全に俺は理解らされている、そこにただただ圧倒されていた。画が、キレキレだった。
家族ものとしても王道で、これまた僕は『リトル・ミス・サンシャイン』みたいな、ぶっ飛んでるけど家族ものとしては王道みたいな作品にめっぽう弱いので、心にぶっ刺さってしまった。白人以外のキャストだとか、性的マイノリティも取り上げている作品ではあるけれど、多分それはこの映画に「多様性の尊重」ではなくて「多様性そのもの」が必要だったからではないだろうか。ふつうに(作り物だけど)動物を投げつけて武器にするシーンもあるし、くだらない下ネタも多い(『ディック・ロング』に比べたらマイルドだけど)。最終的には人生の肯定に向かっていく映画ではありつつ、「こうじゃなかった自分」がキレキレのイメージの洪水とともに提示される様には、やっぱり圧倒される。
観てよかったな~と後から映画.comのレビューを見たら、なかなか賛否両論でびっくりした。ただ、「おばちゃんが悪と戦う」ノリを求めて観に行ったら肩透かしかもしれない。すごくミニマムな家族映画にすぎないのだから。
むちゃくちゃ話題を変えて、通勤の時によく見かけるおじさんの話をする。
おじさんはいつも自転車に乗っていて、たまに両腕を高らかに掲げて自転車を漕ぐ。真上だ。だいたいすれ違う時は両腕が上がっている。
えっ、と思って振り返ると、もう腕は下がっている。でも、きっとまた上げて、下げている。そんなおじさんがいる。
もうすぐ全国的に自転車のヘルメット着用が努力義務になるけれど、名古屋市はこの前の10月から条例で努力義務になっている。それでもヘルメットなんて見ないなあと思っていた矢先、真っ先にそのおじさんはヘルメットをしていた。そして両腕を高らかに上げていた。確かに。必要だよな。このとき僕の周囲の自転車ユーザーで、もっとも正しいのはこのおじさんだった。
という、いい話で終わらせたかったんだけど、なんというか、こういうのを話にしやすいのって「おじさん」だよな、という、ことを、最近思う。
こう、今って、女性の容姿やスタイルなどをことさらに言及するのって、よくない。誤解を招かないように言うけど、心からその通りだと思っている。
だし、お年寄りについてことさらに悪く言うのも、よくない。子供もそうだ。というか、その流れでいくと、どんな人だってそうだ。
ただ、この「どんな人だって、あげつらっちゃだめだよね」という大前提の中に、どことなく順番があって、その一番後ろに「おじさん」がいるんじゃないか、という感覚が、最近ずっとある。
ムカつくおじさんはいる。めっちゃいる。発言がキモいおじさんも山ほどいる。会社にもいる。それは重々承知の上で、これからおじさんになっていく僕は、どうおじさんをやっていって、どうおじさんとして見られていくのだろう、みたいなことを思う。
本当、どうなるんだろうね。桜の季節です。
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