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19.サラ・スペックのラブストーリー

2021年6月4日、日本から台湾へのワクチン提供がなされたようですね。台湾から物品を輸入して台湾雑貨を販売している私は大賛成でした。今回の政府の判断は早く良かったと思います。

今回、前回の続きヤックス・スペックの娘「サラ・スペック」をノートしたいと思います。

"日本人妻との間にできた混血のサラは、小さい頃からあまりにも可愛かったので誰からも愛された。この事が災いしのが12歳のときである。サラはバタヴィア(インドネシアの首都ジャカルタのオランダ植民地時代の名称)の総督邸内にて十五歳の少年と関係を持ってしまう。その時の総統はクーンで、スペックは船の上にいた。クーンやスペックがタイオワン事件で日本との関係に悩んでいた時期である。15歳の若者は、アムステルダム市の書記官の甥であり、周囲は情状酌量を求めたが、クーンは少年を斬首にしてしまう。サラは鞭打ちの後、溺死させられるところをかろうじて免れた。”

男の子が15歳で女の子が12歳ですがからね、12歳は日本では小学生ですからチョットそれは、「あかんで」って感じですね。しかし、昔の方が貞操観念が厳しいのでしょうね。斬首と溺死とはさすがに厳しい。

”1632年5月、バタヴィアに住むオランダ人のもっぱらの話題は、歳の差結婚の話であった。その主役は35歳のジョルジウス・カンディディウスと15歳のサラ・スペックであった。この頃がスペックの人生における、もっとも幸せな時期だったかもしれない。”

”ジョルジウス・カンディディウスは1627年、台湾に派遣された宣教師の1人で、ゲオンギウス・カンジジウスとも呼ばれている。この牧師は、台湾先住民の新港語(8.台湾 新港語とはを参照)を学び、先住民に文字を教え、キリスト教を伝え、先住民の抵抗を和らげる働きをした。”

”1633年、新婚の2人は台湾へ赴任する。この年は日台貿易が正常化した年である。ジョルジウス36歳、サラ16歳である。サラの若々しい美貌は、オランダ商館の人だけではなく先住民の目も引いたことだろう。ところが、3年後サラは熱病にかかり、あっけなく19歳の生涯を閉じてしまった。”

最初のこの内容を読んだ時に、「サラ・スペック」太く身近人生を歩んだ女性だな思いましたが幸せな人生であったようにも思います。そして、映画やドラマではなく、日本ーオランダー台湾の間に生まれた本当の物語を感じました。

インターネットをググる下記の小説がでてきました。同じような事に興味をもったかたが小説にしていました。史実をもとに書かれているのでとても面白です。

サラ・スペックス、知られざる少女https://syukusai.com/novel/sara-specx/

thanks 出典

日台貿易史(その2)タイオワン事件による日蘭貿易断絶顛末記 姉崎慶三郎


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