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【LTRレポート】テリー・ライリー、降臨

(初投稿2023/8/1、最終改稿2023/8/1)


1.ミニマル・ミュージックとは

 みなさんはミニマル・ミュージック(the minimal music、ミニマル音楽)をご存知だろうか。
 「ミニマル」は、「もっとも小さな」とか「最小単位」と訳されるように、短い音型(パターン)や小さな音素材から成る音楽。いくつもの短く小さな音型や素材が何度となく反復されたり、重ねられたり、ずらされたり、また拡張されたりすることで構成される。

参考音源
スティーヴ・ライヒ作曲《ナゴヤ・マリンバ》(1994)

 ミニマル・ミュージックは、アメリカの作曲家であるラ=モンテ・ヤング(La Monte Young、1935~)や、今回のnoteの主役であるテリー・ライリー(Terry Riley、1935~)、スティーヴ・ライヒ(Steve Reich、1936~)、フィリップ・グラス(Philip Glass、1931)らによって1960年代に始められた。彼らは、いわゆる現代音楽の作曲家たちだが、他の現代音楽と違うミニマル・ミュージックの特異性は、現代音楽の範疇に収まらず、当初からあらゆるジャンルのミュージシャンに影響を与えたことであろう。
 日本では、3月に亡くなった坂本龍一や、ジブリ映画の音楽で有名な久石譲などがミニマル・ミュージックに大きな影響を受け、それの手法を用いた作品を多く残している。

参考音源
作家・村上龍が個人的には坂本龍一の最高傑作と評した《箏とオーケストラのための協奏曲》(2010)は、坂本本人がその1~3楽章をミニマルの構成で作曲したと述べいる(坂本龍一『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』新潮社、2023)。

また久石譲には「ミニマリズム」というタイトルのアルバムが4枚もある。


 ミニマル・ミュージックは、一つひとつが短く小さな音型であるにも関わらず、それらが反復を繰り返し、重なり合い、少しずつずれていくことで、その名に反して、なんとも言えない巨大な響きとウネリの音空間を形成する。そしてその巨大な音空間は聴く者の全身を包み込み、彼らの時間感覚を奪い取って、他の聴き手との身体の境界線さえ曖昧にして、その場にひとつの巨大な共同体を構築する。


2.テリー・ライリー、降臨

 僕もミニマル・ミュージックのそんな麻薬的な魅力に取り憑かれたひとり。自分の主宰したグループで、特にテリー・ライリーの《in C》やスティーブ・ライヒの《木片のための音楽》、また《手拍子のための音楽》をよく取り上げていた。ある意味、この二人は僕にとって神に近い存在だと言える。
 そのひとりが僕の勤務する国立音楽大学の特別公開講座に登壇した(令和5年7月20日)。そして学生の演奏する《in C》を聴きながらサジェッションするという。僕も何度かステージに乗せた《in C》について作曲者本人が何を語るのか。ライリーもすでに米寿!この機会を逃すことなどできまい。

参考URL


 《in C》について少し説明しよう。

 1964年に作曲されたこの曲は、たった1枚の楽譜から成る。その楽譜には、53もの短い断片(パターン)が記されている。

参考楽譜

 プレイヤーは、曲の始まりから終わりまで打ち続けられるC音(ドの音)に合わせて、この楽譜に記されているパターンを好きな回数だけ繰り返して、次のパターンへと進む。次に進む前に休みを取って他のプレイヤーたちの演奏をしばし聴いてもよいとされる(ただ全員があまり離れすぎてはいけないという指示がある)。プレイヤーは、他のプレイヤーと同じパターンを演奏する際に、わざとずらしてもよいし、重ねてもよい。とにかくその時に「生まれる」響きのウネリに身を任せて、自分のパートを重ねる。
 譜面はシンプルそのものながら、一つひとつのパターンの音やリズム、また響きの展開には絶対的な計画性と確かな構築性を感じさせる。一方で、演奏する楽器の数も種類も規定されていないことから、一度として同じ演奏が再現されることはない即興性を持っている。そんな相反する方向性をひとつの作品へと昇華させたのが《in C》である。現代音楽作品には極めて珍しく、作曲されて60年を経た今も様々な編成で何度も演奏、録音されている名曲である。


参考音源

テリー・ライリーがサックスで加わったアルバム(1967)


 さて、作曲者本人は、学生の演奏に対してどのようなアドバイスをしたのであろうか。

 まず即興性の強い作品だからと言って、パターンの形をおざなりにしないこと。参加するプレイヤーが全員同じようにパターンが演奏できることを厳しく要求する(実はこれは楽譜に記されたインストラクションにも書かれており、最初はゆっくりとユニゾンで演奏しながら形を揃えることと指示される)。
 そして響きあうこと(つまり聴き合うこと)の必要性を繰り返し主張していた。独りよがりにならず、アンサンブルを必ず意識し、時に自分のパターンを掛け合わせるプレイヤーを変えてみれば、音楽の表情もどんどん変わっていく。それがこの曲なんだよ、と。
 もうひとつ、自分として目から鱗だったのは、パターンそのものを音楽的に歌わせようとしていたこと。それまでの僕はミニマル・ミュージックの反復性をどちらかというと機械的で無身乾燥に演奏し、それをなん度も繰り返すことで浮遊感をつくりだすと思っていた。しかしライリーはそうではなく、リズムはよりカッコよく、パターン全体には抑揚をつけてどんどん人間味ある音楽へと学生の演奏を仕上げていた。そして、その演奏に合わせて彼自身が自分の声で加わるパターンのなんと意味深いこと!
 この曲は、53の音のカタチの単なる積み重ねと変化ではなく、その音のカタチに乗せた気持ちの移り変わりと対話の音楽なのだ。
 ちなみに、この曲は作曲当時の友人たちが集まって演奏できる曲として作曲したため、これほどまでに長く演奏され続けるとは想像していなかったとライリーは語っていた。なぜ《in C》なのか。なぜなら、ハ長調(in C)で書かれた音楽には明るくハッピーなものが多いし、みんなが演奏を通して分かち合えればいいじゃないかと思い作曲しただけだと。

 この一期一会の機会でライリーのアドバイスや彼の言葉を僕なりにまとめると、彼はあらゆる人種を愛し、あらゆる人との対話を愛し、自由な関わりの中に生まれる変化をも愛した、今も昔もLOVE & PEACEの方であった(彼の60年代から変わらぬ風貌をみて、ヒッピー文化を思い出す人は多いはずである)。

 最後にもう一言。
 ミニマル・ミュージックは、聴きながらそのウネリに埋もれて浮遊するのもよいが、自分もプレイヤーの一員としてそのウネリと浮遊感を作り出すひとりになるほうがもっとよい。


瀧川 淳(国立音楽大学音楽学部准教授)

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