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【LTRレポート】伝説的ミュージシャン、サリフ・ケイタのトークショーに参加

(初投稿2023/6/29、最終改稿2023/6/29)


はじめに

 2023(令和5)年4月19日、京都精華大学で、サリフ・ケイタ(Salif Keita)が社会や音楽について若い人たちと語り合うトークショー「Salif KEITA-A Conversation with the Youth-若者と対談」が行われました。サリフ・ケイタはマリ共和国の出身、現在はパリに住み、音楽ジャンルの垣根を超えて世界に影響を与える、伝説的なミュージシャンです。
 今回の来日は、4月15日から5月13日まで、古い寺院や庭園といった京都の特別な空間で国内外のアーティストがライブ演奏を行う音楽の祭典「KYOTOPHONIE Borderless Music Festival 2023」に出演するためでした。またとない機会でもあり、やはりマリ共和国に出自をもつ同大学のウスビ・サコ(Oussouby Sacko)前学長がモデレーターを務めるイベントが実現したのです。学外者の参加も歓迎ということで、会場には100人以上の多様な観客が詰めかけ、熱気あふれる時間をともにしました。
(参照 https://www.kyoto-seika.ac.jp/news/2023/0414_1.html)
(参照https://www.harpersbazaar.com/jp/culture/arts/a43537409/kyotographie-2023-230407-hns)

サリフ・ケイタについて

 サリフ・ケイタは1949年生まれ。古代マリ王国を治めた名家の末裔ながら、先天的にメラニン色素が欠乏したアルビノであるため、迫害を受けて成長します。一族と離別、首都·バマコで本格的に音楽を始めるも生活は苦しく、バーで歌って日銭を稼ぐほどでした。
 30代でパリに移り、アルバム『ソロ(Soro)』(1987)でデビューすると、評判に。そのころから世界的に流行のきざしを見せていたワールドミュージック、なかでもアフリカの伝統音楽と現代的なサウンドを融合させた分野の草分けとして、脚光を浴びます。少し前から引退説もささやかれていましたが、アコースティック・トリオを率いて活動を再開、その声は「アフリカの黄金の声」とたたえられ、多くの人々を惹きつけています。
(参照 https://ameblo.jp/50nights/entry-12566688519.html


「Salif KEITA-A Conversation with the Youth-若者と対談」


ここに紹介するのは、サリフ・ケイタのことばをウスビ・サコ氏とのトークショーおよび会場の若者からの質問に答えるかたちの対談から抜粋したものです。

マリではグリオ(吟遊詩人)が折々の儀式を通して人々を結びつけるという伝統が継承されています。音楽はそれと同じ役割をもつもの。私を日本と出合わせてくれたのは音楽ですし、最近亡くなった坂本龍一さんとは「LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999」に参加したのがきっかけで関係を築くことができました。今回も「KYOTOPHONIE Borderless Music Festival 2023」というすばらしい音楽祭のおかげで24年ぶりの再訪が実現したのです。私は自分のことを、音楽を通したアンバサダー(外交官)だと思っています。

私がアルビノとしての身体的特徴をもって生まれてきたことは受け入れざるを得ない事実。当時は医学的な知識も乏しく、無知が世間を支配していたので、これを克服するには自分が立ち上がって行動するしかなかったのです。人間の価値は、その人の外見でなく内面にあります。外から見えない意思や行動力を駆使して、アルビノについての理解を広げるべく人々を教育・啓蒙する活動に取り組んでいます。マジョリティの意識を変えるために、あらゆる機会をとらえてメッセージを伝える、そしてステレオタイプな社会と戦うことこそ、発信者である私が音楽を通じて日々やっていることなのです。

いまも移民として多くのアフリカ人がヨーロッパに渡っています。行った先の社会の底辺で、彼らが奴隷のような境遇に甘んじているのを見るのはつらいことで、なぜこうなったのだろうかと悲しく思います。じつはヨーロッパが侵入する以前、アフリカ社会は政治的にも文化的にもかなり高いレベルに達していました。1236年にマリでつくられたマンデン憲章が世界でもっとも古い憲法のひとつであることを、日本の方々はご存じでしょうか? そのような歴史的背景を知って、アフリカが喪失した自信や誇りを取り戻すことがパン・アフリカニズムにとっては非常に重要であり、今後の発展にもつながると信じています。

私がマリやフランスで在籍した複数のバンドには異なる国や地域にルーツのあるメンバーが何人もいて、国際色ゆたかな構成でした。もともとマリの音楽はサルサの影響が大きいのですが、それに加えて、中央アフリカのコンゴやナイジェリア出身のミュージシャンも多く、さまざまな土地に根ざした音楽や演奏スタイルがごく自然に混じり合っていたわけです。
ところで、日々新たな活動に向かう私の音楽的な原点はアコースティックなんです。どんな状況に置かれても、アコースティックギターがある限り、音楽を追求しつづけるでしょう。

日本が異質という認識はなく、むしろアフリカとの共通点が多いと私自身は感じています。たとえば、年長者を尊敬するという価値観はよく似ている。ただし、日本社会は伝統を重んじる一方で、テクノロジーが極めて発達しています。この両面をもつことは、外から見ても、たいへんユニークです。少々気がかりなのは、日本社会はいろいろな面で進みすぎた結果、自己充足してしまい、国外に目が向かなくなっているのでは、ということです。日本の若者は、一度は国を出て外から日本を見てはいかがでしょうか。そうすれば日本の良さに気づくと同時に、海外に対して何をオファーできるかを察することも可能になると思うのですが。みなさん、ぜひアフリカを訪ねてください。アフリカの若者と話し合い、互いを理解していただきたいです。そして、彼らに日本の良い面を教えてくださることも期待しています。

(京)

Salif KEITA-A Conversation with the Youth-若者と対談

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