『はるかカーテンコールまで』デジタル栞文

 「遠泳」同人の笠木拓の第一歌集が刊行されます。今日から毎週一回、「遠泳」メンバーがリレー方式で歌集についてnoteを更新していきます。第一回目は榊原紘が担当です。それではどうぞ。

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第一回:『はるかカーテンコールまで』を待つこと

 面白い連載は自殺を思い留まらせることができる、と言ったのは誰だったか忘れたけれど、本当にそうだと思う。どうなるのかこの目で確かめたいという気持ちは(どんなことがあろうと死ぬときは死ぬという当たり前のことは置いておいて)、寿命を延ばすのには十分なものだと思う。
 笠木さんの歌集が出る、という。
 笠木さんは僕にとって京大短歌の先輩にあたる。自己紹介で「二回生の笠木です」と言われたことを真に受けて、こんなに歌も評もしっかりした人が同回生かぁと思っていたら、(つく必要があったのか分からない)嘘だった。当時の僕は面食らいながら「茶目っ気」として理解したが、未だに笠木さんのことはよく分からない。分かることなどないのだろうし、分かる必要などないとも思う。僕は笠木さんの歌が好きだ。それが多くの人に読まれてほしくて同人に誘った。
 笠木さんの歌集が出るという知らせは、僕だけじゃなく沢山の人の寿命を(否応無しに)延ばすと思う。
 歌集のタイトルは、『はるかカーテンコールまで』。第六回現代短歌賞の講評で、瀬戸夏子さんは笠木さんのことを、「ものが挟まったところに手を差し入れる、その手が一番遠くまで届く人」※と評していた。瀬戸さんは「いい例えじゃないけれど」と前置きをしていたが、僕はそれをぴったりの言葉だと感じた。
 笠木さんの歌を何首か引こうと思う。揺るぎない意志で構えられた歌の射程距離や、遠く遠くへ注がれる眼差しのことを考えながら。

(永遠は無いよね)(無いね)吊革をはんぶんこする花火の帰り
/もう痛くない、まだ帰れない
青鷺、とあなたが指してくれた日の川のひかりを覚えていたい
/starry telling
たまねぎを火は甘くする 晩年の兆す速度を僕は知らない
/フェイクファー
名指すこと・まなざすことの冬晴れの植物園をふたりは歩む
/ラウンダバウト

 今、生きているときだけの記憶、限られた時間の中で(あなたと)見たこと・話したこと。

会うことが出会いつづけることになる どこまでも水のほとりを歩む
/声よ、飛んでいるか
あかねさすティーカップには日が溢れ会いましょうまた忘れるために
/論より小鳥
まるで蟬が脱ぐ蟬 ふたり会うたびに次の呪いを選べますよう
/嘘と夏の手

 別々の存在だからこそ会い、再会できるということ。

過ぎ去れば映画みたいだ冷えた目にろうそくの火があんなにきれい
/For You
はつなつのつんとピアノに立つゆびは、ゆびだけは美化してもいいから
/うたかた

 でも自分の頭のなかで作り上げてしまうものがあって、変わってしまう。それも分かっている。

まるで同じものを見るなどできなくて電話で明日の月を言いあう
/フェイクファー
半身にあなたをしてはいけないね踊り場で手をつないでほどく
/前日譚

 存在がぴったりと重ならない。僕はそれをかなしい希望だと思うけれど。

彼方なる星座の人もけだものもおやすみ。撃ち落としてあげるよ
/声よ、飛んでいるか
きっとかわいく生きててねっていう気持ちぜんぶをへたな握手にこめる
/何もなかったように
目に見える星たちだけを星と呼びそのまばゆさにあなたを往かす
/前日譚

 歌集が出たら、読んで、何度でも読む。そして、笠木さんの新しい歌が読みたくなるだろう。消えてなくなりたい日にも笠木さんの歌があるだろう。それはどうなのかな。嫌がられるかもしれないけれど、どうしてか出会ってしまったのだし、もう僕は笠木さんの歌を見つめる他なくなってしまった。
 あなたも楽しみにしてください。

※「現代短歌」2018年12月号、66頁

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