「はるかカーテンコールまで」デジタル栞文-第4回-
「遠泳」同人の笠木拓の第一歌集刊行記念note、今回の担当は松尾唯花です。
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第4回:わたしとひらがなと笠木さん
ひらがなが好きだと思う。
ひらがなを丁寧に書くのも好きだし、眺めるのも好きだ。
笠木さんと一緒に京大短歌にいたのはかなり短い期間だったけれど、歌会で会わなくなっても(そもそも歌会でもそんなに遭遇していなかったかもしれない)、ふとしたときにアニメのひとこと感想が届いたり、かわいいスタンプが届いたり、そのひとつひとつの温度がとても好きだなあとずっと思っている。そして、この「好き」の感じは、案外ひらがなに対する「好き」に近いかもしれない。
笠木さんのひらがな性を思いつつ、『はるかカーテンコールまで』から好きな歌を何首か引きます。
あずさゆみうわくちびるで牛乳の膜をひそりと引きよせている
/もう痛くない、まだ帰れない
さくらばなそのはなごとのためらいの地上にはまだはるかにとおい
/フェイクファー
うまれたらはこぶしかないからだかな缶入りしるこ入念に振る
/ラウンダバウト
ひらがなで運ばれる上句の華奢な温度に触れて、心が小さく震える。
あかねさすティーカップには日が溢れ会いましょうまた忘れるために
/論より小鳥
あおによしならづけやまえよぎりつつ寝覚めの首にマフラーを巻く
/ラネーフスカヤだったわたしへ
あたりまえなんですけど、枕詞ってひらがなにすると五字なんですよ。
その柔らかさが歌に響く。ひらがな五つで「あおによし」。声に出すときも「あおによし」。
愛でないことがしたいね夕さりの木馬にふれて散るしゃぼん玉
/デッドエンドを照らす
ひとりってこうだったっけ夜の道チョコをちいさくちいさく割りぬ
/何もなかったように
歌を詠むって「割る」ことに似ている。自分だけの言葉が音になって外に出たとき、それって一度ちいさく割れていて(破裂音とかいうことじゃなくて)、つまり、歌が歌として生まれてきたとき、そして発されたときのその繊細さに触れた、読者であり、時に共感者であるわたしには、一度たじろいでしまう瞬間がある。
けれど光の色だ。「はるかカーテンコールまで」というひらがなが、生活の中にそっとある。それが今とても心地いいな、なんて思いながら、わたしもなんとか日々を生きていっています。
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