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世界のニュースが身近になってきた。そして、様々な分野での世界の変容が、国内経済に密接にかかわっていることを肌身で知ることになる21世紀
小資源の国、日本では、ある資源の供給が細くなると,多くの資源を輸入に頼っている日本の経済は揺れる。
ちょっと前の、”ウッドショック”の時は、実際、建築用外材の不足で、建築の仕事が止まったりしたのを経験。
幸い、自分らは国産材しか使用しないし、大企業と多くの取引を持つ製材屋とは付き合いがなかったので、殆ど影響はなかったのは運河良かったのだが。
国産材はブームという範疇を超えて、常に一定レベルの状態
1999年頃建てられた、八重山民俗園(いまは、やいま村)の木製展望台。この一連の写真は、2006年。
展望台から、見える遠景遠景。青い海とライトグリーンの透き通った色の対比・・が、光量不足で見えなかった。
石垣島の古民家が何棟か建っていたが、石垣島に来る前は、こういう特徴的な、八重山諸島の文化・風俗・建築材料ばっかりで出来ていると思った。・・・かえって希少だから、後世の為に保存してるわけなんだろう。家というのは、人間の住処だから、気候や、植生、文化から生まれいずるものって、本土の建物と対比してく
10年ほど前に、小津安二郎が野田高梧と小津映画の脚本を書いたという茅ヶ崎市にある茅ヶ崎館に泊まった。
”東京物語”のビデオをたまたま借りてきて以来、どうも”東京物語”に現れてくる、戦後、家族のつながりが細くなった様子の描写に心が動いた。
尾道から長男・長女を東京に送り出し、子供・孫の成長を楽しみに夫婦が上京。
今の映画やドラマのように、時々見る人を刺激するような、トピックスがあるわけではないのだが、淡々と、静かに進行する画面の中の会話、表情に、人間の情趣の壊れていく姿を見ることになり、人間の奥底の
小原二郎氏の”木の文化(鹿島出版会)にパンデミック後の近代住宅の超克を考える上で示唆的な考え方を見る。
西洋建築のインテリアについて、西洋では人間を生物としてとらえ生活環境を理詰めで数量的に解決していこうとする、日本は人間を精神的な存在としてると。
例えば水回りの集中・・・これは、風呂場も人間を洗う場所、トイレも排泄・・と、その観点で行けば同じ空間に収めさせるという思想。
日本は、風呂場にも哲学的瞑想~情緒を感じたり、という場所にする。という例を挙げてる。
そして西洋では、人間を生物として捉えて、理
先日から、国産材について現状把握するために購入した上記の本を読んでいる。
続けて、同じ著者がかかれた、平凡社新書の上記の本も、情報の肉付けのために読んでいる。
”世間の常識”としては、国産材が高く、外材は安いと思われている。勿論、この”常識”は、時代と共に変移もするのだが。
近年は、よく言われる為替変動により外材の金額が上がって来たわけだが、国産材の値段はあまり変化はない。今では、国産材の方が安い。
建築用やエクステリア用の外材は相当跳ね上がってるようだし。
一方、国
海外から輸入される、いわゆる外材が1964年東京オリンピック頃を境に急激に増えたのを、材木屋の子供としてよく覚えている。
東南アジアのフィリピンから、ラワンの原木が来たり、造作材として目細(めごま)な秋田杉の代用品として米杉(ウェスタン・レッド・シダー)が来ていた。・・・その後、安かったラワンもフィリピンの森林減少から来なくなった。(危険地域のミンダナオ島は、伐採できないので森林資源が残っていると聞くが、皮肉な話だ。)
建築材でなく、外部使用のエクステリア部材に発想を変えるときに、日本に集まる外材を勉強していた。
”日本人が知っておきたい森林の常識 田中淳夫著”・・2011出版(洋泉社)
著名な森林ジャーナリストの方のようで、木材関連の書物にてよくお名前をお聞きすることが多い。
田中淳夫氏の思いのたけが、この本の190ページに述べられている。
長いこと”国産材は外材より高い”という神話があった。”日本の木って高いでしょ?”といわれることが、圧倒的に多かった。
この(感覚のしばり)が国産材志向を弱める原因にもなっていた。
もう一つ、補助金の存在。
改革を促すような仕組みもなく、現