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牛首村のメガ・トゥルース

呪怨の清水崇監督の"村"シリーズの第3弾「牛首村」はもう観ただろうか?
キムタクと工藤静香の娘が映画デヴューした作品なのだが、今回は映画評論ではなく、題材となった「坪野鉱泉」と「牛首村」について調べてみたところ、そこには恐ろしい真実が?

北陸最恐スポット「坪野鉱泉」

牛首村の舞台となるのは、坪野鉱泉という北陸最恐の心霊スポットで、あの宜保藍子が唯一拒否したとされるヤバい場所らしい。
名水が湧き出ることから、坪野鉱泉と呼ばれる場所で、鉱泉に付随して建てられた「ホテル坪野」が、1980年に廃業して廃墟化。
以降、心霊スポットとなる。

坪野鉱泉が最恐と言われる所以は、1996年に実際に起きた失踪事件のせいだろう。
当時19才の2人の女性が、肝試しに行くと言って車で坪野鉱泉に向かったきり、行方不明になったのだ。

この事件は長い間解明されなかったが、2020年に富山湾で複数の人骨を乗せた車が発見され、失踪した2人であることが判明。どうやら、坪野鉱泉に行く前に2人は事故死していたようなのだ。
つまり、2人の失踪は坪野鉱泉の呪いでも何でもなかったのだ。

坪野鉱泉は牛首村ではない

映画の舞台となったのは坪野鉱泉で間違いはない。だが、そこは牛首村という地名ではない。
じつは、牛首村は別のところにある。
それは坪野鉱泉のある富山県の隣、石川県の南部の白峰(今は白山市)に、かつて牛首村があった。

地図だと一目瞭然だが、坪野鉱泉と白峰は隣接してるわけでもなく、距離はありそうである。

白峰にも何か心霊スポットがあるのかというと、県境の牛首トンネルには、確かに出るという話はあるようで、映画でもトンネルを抜けるシーンが描かれているが、しかし、そこはあくまで境界線であり、村自体にはとりたてて不吉な話がなさそうなのだ。

では、なぜ坪野鉱泉が「牛首村」になってしまったのか?

おそらく舞台を北陸とした場合、都合よく怖そうな名前の村が圏内にあったからだろう。
それと、牛首村の名前自体が、ある有名な怪談を連想させるからだろう。

最恐の怪談「牛の首」

一度はどこかで聞いたことがあるだろう。
牛の首とは有名な怪談で、あまりに怖すぎて、聞いたら死ぬと言われている。そのため、誰も内容を知らないという、、、じつは笑い話。

私が聞いたことのある「牛の首」の真相は、飢饉か何かで人肉を食べる際に、牛の首を被せて殺す村があった!というような内容だった。
この件に関しては、こちらの記事に詳しいが、どうやら星野之宣『宗像教授伝奇考』の一篇「贄の木」のパクリ話がネットで拡散されたというのが真相のようだ。

https://shobunsha.info/n/n6b9205fd8572

さて、この記事には他にも面白い指摘がある。

その謎を解く鍵になりうる、と私が感じた本がある。2015年に出版された、筒井功『殺牛・殺馬の民俗学』だ。同書では日本全国における「牛馬(主に牛)を生贄とする祭儀」の痕跡を探っている。池、淵、滝壺などの水辺にて牛を屠り、その首と血を流し入れる「殺牛儀礼」。この知られざる儀式は、西日本を中心に、昔の日本で広く行われていたらしいのだ。それは「牛転」「牛淵」などの地名や、妖怪「牛鬼」伝説に変化して残されている、とも考察されている。
なぜ牛の首を水場に投げ込んだのかといえば、雨乞いのためだ。大陸伝来の殺牛儀礼が、日本では「死体や血の穢れによって、神を怒らせることで、雨を降らせる」という解釈に変化した。この習俗は次第に「すでに死んでいる牛の首を吊るす」「藁で作った牛人形を投げ込む」と穏やかに形式化しつつも、戦前まで各地に継承されていたようだ。
筒井は同書において、こうした殺牛儀礼と「牛の首」との関連に触れてはいない(そもそもこの都市伝説を知らない可能性もある)。

つまり、殺牛儀礼の記憶が牛の首や牛鬼の伝説を生み出してきたということなのだ。

牛首村で殺牛儀礼が行われていたのかは定かではないが、牛首村の名称の由来についてははっきりとわかっていることがある。

牛頭天王

牛頭天王とはスサノオノミコトが仏教と習合した際の姿である。八坂神社にお祀りされていて、祇園祭の元になったのは、この牛頭天王が疫病神で、お祀りすることで疫病を鎮めたことに由来している。

さて、この牛頭天王の信仰をこの地に持ち込んだのは誰か調べると、泰澄(たいちょう)という奈良時代の修験道の僧にたどり着く。
泰澄は石川、福井、岐阜にまたがる霊峰、白山を開山したとされる。
日本全国に白山神社というのがあるが、それは泰澄の興した白山信仰が起点となっている。

この泰澄、名前からも明らかなのは、秦氏の一族であるということだ。
秦氏というと古代の日本で影響力の強かった渡来人で、大陸から朝鮮半島を経由して来たとされる。

先程、牛の地名は、牛殺儀礼から来ているという説を紹介したが、その儀礼は大陸由来であると指摘されている。

大陸由来の殺牛儀礼と、大陸から来た渡来人の秦氏。そして秦氏の泰澄が祀った牛頭天王。祀られた白山麓の村、牛首村。どうやら想像していた以上に牛首伝説の背景は深い。

白山神社と被差別部落

殺牛儀礼は、牛の死体=穢れで神を覚醒させる儀礼だ。
かつての日本でそうした穢れを扱う職業は、穢多と呼ばれていて、いわゆる被差別部落民の専売特許のようなものだった。

そして、被差別部落には白山神社が多いという話がある。それは、江戸時代の穢多頭、浅草弾左衛門(だんざえもん)が信仰したために、部落に広まったとされている。

しかも、弾左衛門由緒書等によると、弾左衛門の祖先は秦から帰化した秦氏とされているのだ。

白山信仰と朝鮮半島

在日朝鮮人と部落民は歴史的背景は異なるが、その境遇において共通点がある。その為、在日が部落に居住したり、部落民が多くいる職場に就労するケースは少なくない。

しかし、白山信仰が朝鮮から来たことを踏まえると、文化的起源は異なるどころか、極めて近いものと捉えることができるだろう。

朝鮮半島には白の字の付く山がおびただしく存在している。代表的なのは韓国の太白山と北朝鮮の白頭山だ。いずれも山岳信仰の対象であり、朝鮮民族にとって重要な意味を持っている。

特に白頭山は、説話において朝鮮民族の始祖である檀君が生まれた聖山であり、また、北朝鮮を建国した金日成の息子である金正日が生まれたのも白頭山だと主張されている。

白頭山が朝鮮民族主義のヨリシロになったのは後世のことだが、古くから濊貊や女真(満洲族)などから聖山と崇められており、民族や国を越えた信仰が同地に根付いていたのは間違いない。

また、この白頭山を最北端とする太白山脈は半島を南北に縦断しており、韓国の太白山がそうであるように、白の字がつく山々も、この山脈上に点在している。

白頭山自体、別名を太白山、白山と呼ばれるので、白の字で表される山々には宗教的な繋がりがあると思われるし、この山脈と分岐する小白山脈を合わせた白頭大幹が、風水的に重要な意味を持っている等、日本の白山信仰の源流が、この朝鮮半島の脊髄に由来していると考えられるのだ。

牛首ではなく馬首だった?

さて、昨今、日本の社会を揺るがしている旧統一教会は韓国のキリスト教系団体であるが、その実態は土着のシャーマニズムがキリスト教と融合したものである。

じつは、日本は仏教があの世の管理をした為、シャーマン的なものはそれ程多くは存在しない。あるとすれば青森のイタコぐらいか。

じつは、東北地方に伝わる信仰に、おしら様(お白様)というのがあるのだが、大陸由来のシャーマニズムと深い繋がりがありそうなのだ。

おしら様は一般には蚕の神、農業の神、馬の神とされるが、養蚕も馬も大陸から日本に伝わったもので、白頭山を崇拝していた濊も養蚕や馬を生産していたといわれている。

おしら様の神体は、桑の木で作った1尺(30センチメートル)程度の棒の先に男女の顔や馬の顔を書いたり彫ったりしたものに、布きれで作った衣を多数重ねて着せたものである。この神体は、男と女、馬と娘、馬と男など2体1対で祀られることが多い。

映画『牛首村』に出てくる奇妙な風習は、牛と馬の違いはあれど、おしら様を元にしているのは間違いないだろう。

ちなみに、なぜ馬娘なのか?というと、それは東北地方に伝わる馬娘婚姻譚によるとされる。以下Wikipediaより引用。

それによれば昔、ある農家に娘がおり、家の飼い馬と仲が良く、ついには夫婦になってしまった。娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。娘は馬の死を知り、すがりついて泣いた。すると父はさらに怒り、馬の首をはねた。すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、そのまま空へ昇り、おしら様となったのだという。
『聴耳草紙』にはこの後日譚があり、天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼うことを教え、絹糸を産ませ、それが養蚕の由来になったとある。以上の説話から、馬と娘は馬頭・姫頭2体の養蚕の神となったとも考えられている。

おしら様の祭日には、イタコがおしら様に向かって神寄せの経文を唱え、おしら様を手に持って祭文を唱えながら踊らせる。

一応、神さまではあるが、祀り方を間違えると祟るので、場合によっては恐ろしい存在でもある。

謎の神マタラの正体

牛に関連する祭で有名なのが、広隆寺牛祭りだ。何が有名なのかというと、まったく意味不明な奇祭だからである。

特異な面をつけたインド伝来の神=マタラ神が牛の背に乗って登場。四天王と共に境内を練り歩いた後に、独特の節回しで祭文読み上げるが、周りの参拝者たちは罵詈雑言を浴びせる。読み終えるとマタラ神と四天王は堂内に駆け込んで祭りは終了。

広隆寺ということでピンと来る人もいるだろうが、これまた秦氏の寺である。
そして、広隆寺で有名なのは弥勒菩薩像だ。

弥勒菩薩は釈迦入滅56億7千万年後に救世主として現れるとされている。その起源はアーリア人の崇拝した神、ミトラ神なのだ。おそらくマタラ神の正体はミトラ神だろう。

ミトラの特徴は、救世主であること以外に、太陽神であり、牛を屠る神である。
古代のローマ帝国に伝播したミトラ教では、聖牛供犠が行われていた。そこに描かれるミトラは緑とオレンジ色の服をまとっているのだが、マタラ神も緑色と柿色の服なのだ。

秦氏はよく、日ユ同祖論の中で取り上げられるが、ユダヤ教の伝統を受け継ぐキリストが、まさに救世主であり、ミトラをパクった宗教であるとするならば、秦氏が大陸から継承したのは、ユダヤではなくミトラである可能性が高いのだ。

キリストの奇跡中の奇跡といえば「死と再生」に他ならないが、牛殺儀礼もまた、牛の死から神を覚醒させて世界を蘇らせる「死と再生」を司る儀式に他ならないし、キリストの誕生日とされるクリスマスの起源は太陽の冬至に行われたミトラ教の祭がルーツで、それもまた、太陽の「死と再生」がモチーフとされているのだ。
白山信仰も太陽神ミトラが朝鮮半島を経由して辿り着いた形の一つに違いない。
考えてみたら、白という字は日にチョンがのっかってるだけではないか。

牛首伝説に秘められたタブー

こうして見てみると、『牛首村』の映画自体は、単に地方の怪談をツギハギした感じのようでいて、バックグラウンドが広すぎて、手に負えなかったという気すらする。
映画の制作者は、おしら様まで知っていたのに、白山信仰はスルーせざるを得なかったのだろう。
なぜなら、北陸の白山自体に忌まわしい伝承がないのに加え、白山神社から連想される被差別部落は、じつにデリケートな領域だからだ。

芸能人に在日が多いという噂がある。
ハリウッドにユダヤ人が多いのと似たようなもので、芸能がカタギな職業ではないと見なされてきたからなのかもしれない。

芸能は穢多が生業とした職業の一つである。
また、牛祭りの広隆寺を建立した秦氏の秦河勝は聖徳太子のブレーンとして有名な一方、芸能の神としても知られており、能楽の始祖だったりする。秦氏=原始キリスト教徒説に対して明確に、イエスではない、ノーと否定しているのだ。

祭文化がなぜか解放的なムードなのは、身分に関係なく人々が一体になれるからだ。
普段は異形の者として差別されている人々が、この日ばかりは祭事を行う祭神としてもてなされてきたのだ。
芸能の古くは、単なるエンタメではなく、神事と結びついた宗教的儀式だったのだろう。
そうした特殊な儀式を行えるのは、やはり特殊な人材に限られたのだ。

最後に、映画『牛首村』の主演女優は芸能界のサラブレッドだ。そんなサラブレッドが、馬から牛に首をすげ替えたことになるわけだが、その両親も在日ではないかという噂がある。
たしかにキムは半島に多いが、本名をあちら風に発音すると、チョ・マテヨというのは聞いて呆れる。もちろんガセネタなのだが、もし本当だったとすると、この映画はタブーを総なめにした「最恐」のホラー映画になっていたに違いない。


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