物事は多面的

易経では太極から2つの陰陽に分け、3つの三才に分け、4つの四象に分け、5つの五行に分けている。

それは別々の独立したものが5個ではなく、1つのものの違った面が5個というだけ。
紙やと裏表の2面だけなのがサイコロの6面に増えたような感じ。
紙もサイコロも1つ。
それを裏と表という二つの面で1つのものを表すのか?
サイコロのように6つの面で1つのものを表すのか?の違い。

1つの事象でも見方によればいくつもの側面があるという事。
あくまでも一つのものの違った角度からの見方。

今回の台風も
「年々異常気象で台風も凄くなってきて、地震の心配もあるし、年々悪くなっている。」
という話ている人がいた。

皆さんも同じ考えなのでしょうか?
ますます酷いことになってきていて、大変になっているのでしょうか?

地元の歴史を調べれば、わずか100年前、雨が降れば氾濫する川があり大変やったみたい。
川の付近には畑も家もつけれない。
治水工事が進み、雨が降っても川は氾濫しなくなった。
川沿いの土手は桜が植わり、毎年綺麗な桜を見せてくれている。
100年前と言わず、戦後の父が子供の時も氾濫、土砂崩れもあったらしい。
治水工事が発達して俺が生まれてから約50年は土砂崩れも川の氾濫もない。
50年の間、雨が降らなかったのかといえば、そうではない。
毎年台風来てるし、梅雨の時期は雨は降るし。
最近の大雨はすごい。
治水工事の進んでいない昔なら何度も氾濫していたと思う。

その治水技術以上に最近は雨とかがすごいから危険を感じる。
これよりもすごくなったら氾濫するかもしれない。

100年前は今よりも雨の振り方も穏やかやったかもしれない。
それでも治水技術が低かったから雨降るたびに氾濫していた。

それを考えると、別に年々、ますます酷くなっているわけではない気がする。
悪くなってる面もあるかもしれない。
今は電気に頼りすぎてるから台風で停電になったら、生活に困ってしまう。

その面を見れば酷くなっているのかもしれない。
でも、治水技術が進み、建築技術も進み、ある程度の台風では大丈夫にはなっている。
昔の技術ならば氾濫して家も壊れていたかもしれない。

悪い面を見れば悪くなっていく一方かもしれないし、良い面を見たら昔よりは格段に良くなっている。

別に昔は良くて、年々悪くなっているわけではないのが分かる。
昔は昔で大変やった。
今は今で大変。

ならば、不必要に年々ひどくなっていってるわけではない。
来年になったらもっとすごい台風になるからえらいこっちゃ。と悲観、絶望することでもないのかなと。

1つの事に対して良い面と悪い面、他にも色んな面があると思う。
その一面だけ見てしまうのはあんまり良いことないかも。

いや、世界は悪くなっていってると思いたいのかな?
だから俺は不幸なんやと。

もし、世界が良くなっているのなら、俺がこんなに不幸なのはおかしい。
ならば世界は、世の中は悪くなっている。
世界が、世の中が良くなっていると認めたら、俺が不幸なのは自分の責任と認めなければならなくなるから、断じて世界、世の中が良くなっているとは認められない、受け入れられない!
のかな?
周りが悪ければ自分が悪いのも周りのせいにできる。
周りがこんなけ悪いんやから、自分が悪いのはしょうがないと思えるのかな?

周りの良い面を認めてしまったら、周りはいいのに自分が悪いのは、自分がちゃんとやってこなかったから、自分の責任になるから認められないのかな?

人のせい、周りのせいにして生きてきた人には、良い面を見る事は自分の心の底に押し隠してきて目を逸らしてきたものと対面することになるから、悪くなってるという面しか見れないのか?

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