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ワンドとソードの10はなぜ不吉なのか?

吊り橋は風に揺れ、山河は冷たく、森は暗い。

明らかな危険に足が竦み、決意は萎びる。

それでも太陽は我らの道を照らすのだ。

太陽万歳!!(あいさつ


「なぜ、カップとペンタクルの10は願望を成就したように見えるのに、
ワンドとソードは、破滅してしまった様に見えるのか?」

この様な疑問を思っていた人は、結構いるんじゃなかろうか。


先に私なりの解釈を書くとこうだ。


カップとペンタクルが成就したのは勘違いだったし、

ワンドとソードが破滅したのも勘違いだった。

10が指しているのあくまで、1つの章の終わりだ。

最終的な結論を表しているのでは無く、ひとまずの終着点であり、

「次の章を始めなければならない」と言う警告を含んでいるのだ。 

チープなコミックで例えて言えば

「世界は平和になったが、俺たちの戦いはまだまだ続く!」

と言った所か。


さて、
「カップとペンタクルが成就したのは勘違いだったし、

ワンドとソードが破滅したのも勘違いだった。」

この勘違いを解くところから進めよう。

まず、10番目で映画が終わりエンドロールが流れ始めれば

確かに、成就したし破滅したと言っていいだろう。

しかし、大アルカナの「世界」ですら、

後に「愚者」として旅をする様に、

タロットには時間が流れ続け、留まる事が無いので

10番目で終わってしまう筈が無い。

1度終わったと思っても、必ずやり直す事になるのだ。


「必ずやり直す事になる」と言う前提があれば、

10のカードに対する勘違いは半分ほど解けたのではないだろうか?

その「次の章」についてありえそうな事を各スート毎に語れば

勘違いが完全に解け、「次の章を始めなければならない」

と言う警告も説明しきれるだろう。



ワンドの10は、重い荷を背負ったまま進み続けるかもしれないし、

そのうち最高の1本のワンドを掲げながら歩くのかもしれない。

いや、もしかすれば、その荷のすべてを馬車に積み、従え、

泰然自若とした表情で更なるワンドを求めるのかもしれない。



ソードの10だって、地に伏したままでは無いだろう。

朝まで寝ていただけだと言わんばかりに立ち上がり、

体に剣を突き立てたまま進むのかもしれない。

実は視界外にもう1人いて、1本の剣を朝日に掲げ、

仇を討った事に満足しているかもしれない。

体が朽ち、骨と突き立った剣だけになったのちに、

剣を拾い、その残した遺志を継ぐ物もいるだろう。



カップの10は語るまでもなく

この瞬間が幸せでも

生老病死の苦しみからは逃れられるものでは無いだろうし、

子供たちだって、これから成長し愛の苦しみに苛まれる事になる。

そのうちに孫が生まれて、更なる幸福を感じるかもしれない。



ペンタクルの10は切ない事に、

いかに財産を守ろうとも、富はあの世に持って行けないのだ。

貨幣価値が暴落するかもしれないし、

盗み出されたり、火災で失い、無一文になってしまうかもしれない。

ため込まず、才能のある若者に投資すれば、

新たな富につながるかもしれない

息子に継いだら、事業を失敗してしまうかもしれないし、

更に成長するかもしれない。
(犬は、価値を理解せず美術品をおもちゃにするかもしれないな。)



勘違いは解けただろうか?

「ワンドとソードの10はなぜ不吉なのか?」と

題したが、本音はこうだ、

「ぶっちゃけ10は全部不吉だ!」

ワンドとソードは言うまでもなく不吉だし、

成功した結果、将来脅かされるカップとペンタクルも不吉。


補足として聖書から引用するが、(聖書箇所 ルカ12:13~21

12:13 群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」と言った。
12:14 すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」
12:15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
12:16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
12:17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
12:18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
12:21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

この様な警告があり、他にも

「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません」

この様にも語られている。


この事について、タロット使いに相応しい様に言えば、

上記の(聖書箇所 ルカ12:13~21)を小アルカナの10とし、

「自分の宝を天にたくわえる」事を大アルカナを修める事とするべきだろう。

大アルカナを自らに刻みつけ、永遠に滅びぬ魂とする事は、

それは正にタロットが私たちに求める事の一つだと思う。



我らの魂が太陽と化し

熱く、大きく、輝きますように!

太陽あれ!!!

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