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じゃがりこしか食べない娘の話(エグい偏食)

うちの娘は、とにかく偏食が凄まじく、基本的にじゃがりこ、ポテトチップス、焼きおにぎり、鮭フレークご飯、ハム、QBBのプーさんチーズしか食べない。
離乳食(初期~後期)は比較的なんでも食べていた…ような気もするが、徐々に食べるものを減らしていき、いわゆる完了期には、特定のものしか食べなくなっていった。
当時は、フォローアップミルクも併用して、とにかく死ななければいいか、いつか食べるか…と思ったり、野菜をみじん切りして騙されて食べないかやってみたり、試行錯誤しながら食と向き合っていた。後に、フォローアップミルクを飲むのに使っていた哺乳瓶の乳首が、ボロボロになり、卒業後の進路に悩む頃、甘酒が突如ヒットし、なぜか風呂の中で甘酒をのむという習慣が生まれる(現在継続中)。


フォローアップミルクは4歳手前までお世話になりました。ありがとうございました…哺乳瓶さんも…

で、とにかく食いが悪い娘がどハマりしたのが、
じゃがりこだった。


さらに言うと、娘はサラダ味しか食べない。

後にじゃがりこは、対象年齢4歳頃から、という表記に度肝抜かれるのだが、とにかく1日1個、絶対。
幼稚園の帰りに毎日公園でじゃがりこを食べる娘は、幼稚園に通う(帰りに公演によって遊んで帰る)親子のシンボルとなり(笑)、「今日もじゃがりこ食べてるのね」「私が開けてあげるね」「おいしいの?」と声をかけられるようになり、そこで人間関係が構築されていったのは、良かったような…
どの子もよく出来た子ばかりで、娘のじゃがりこの世話は焼いてくれるが、それを食べるとか、イタズラするとかは一切なかった。本当に心の中でいい子だなーと感謝しか無かった。
(尤も、ほぼしゃべらない娘に代わって私が受け答えしてたので、娘はどうこうしたってことはないのだけど、そこで心許す友人は出来たようだった)
 福岡ではお弁当だった娘は、癇癪が危ぶまれるイベントの日は、お弁当にじゃがりこを入れたり、遠足のおやつはじゃがりこにしたり(笑)、とにかく精神安定剤として、フル活用させていただいた。
 引越しのおり、じゃがりこにまつわる選別をいただいたり、「食感が似てるかな、と…」とおせんべいをいただいたり、とにかく我が子はじゃがりこを毎日食べてる子として福岡時代を過ごしたのである。

 

偏食との向き合い方(私の場合)

個人の見解です。(ぐうたらな人間の)

この偏食の理解に、大きな助けになったのは義弟の存在である。
義弟もまた、ものすごい偏食で、結婚後の義実家訪問で、その食生活に最初驚かされた。
もっと驚かされたのは、その偏食に付き合っていた家族(特に義母)である。
義弟の為だけの食事を常に準備し、外食の時は義弟も食べられるものがあるか、自然に気にかけているのである。
おかげで、食事時は、賑やか和やかで、良い雰囲気で過ごしている家族をみて、あぁいいなぁ、と素直に感じたのである。
「これが食べられないなら、お前はこの卓に座ってはいけない」
という空気の中で食事をするより、食べられるものがある中でなんとなく座って食卓を囲む方が、幾分幸せ指数高いだろうし、何より平和だろう、というのが結論として腑に落ちたのである。
 大体、有史何年、人間は食べられないことに対応する進化こそすれ、食えすぎる事態に対応できなくて生活習慣病に苦しんでるんだ、なんか食えてるんなら大丈夫だろ、死なん死なん。選んで食えるのが現代の幸せなんだ、世の中食事が面倒だからプロテインしか飲まない人間もいるんだ、なんとかなる。死にそうになったらどうするか、それは娘の人生だし、もう私はその意思決定の責任は無い、と開き直ることにした。

コロナの衝撃

 栄養がどうの、と心配はあれど、もう知らない、本人に任せようモードで過ごすことにしてから半年ほど経つ頃、夫婦でコロナになり、自宅待機している間そこそこ苦しんだ…一方で、娘は全く体調不良にならず、咳ひとつせず、ケロッとして過ごしていたのである。
 なんなら、身長もすくすく100cmを超え、私の当時の記録を易々と抜かしているのである。
 え、じゃがりこってスーパーフードなの…?
と思っている今日この頃である。









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