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沈黙図書館について

【沈黙図書館】とはなにか。

象形文字表札 449

先日、YOU TUBEに沈黙図書館を名乗るチューバーが現れて、ビックリ。 これは偽物である。

ニセモノ沈黙図書館 392

真似されるのは名誉なことかもしれない。

[沈黙図書館]を名乗っているのは、日本中でわたしだけだと思うが、じつはこれとは別に、[沈黙博物館]というのが存在する。これは二〇〇〇年の九月に筑摩書房から出版された小川洋子さんの書いた小説で、これが文化施設として、沈黙〇〇館を名乗る嚆矢ではないかと思う。

書籍沈黙博物館 776

ある人たちから「寺山修司の[幻想図書館]をもじったんですか」とか、「遠藤周作さんの『沈黙』と関係ありますか」などと聞かれた。わたしの図書館にも寺山の本が10冊くらい、遠藤周作の本は20冊くらいあると思うが、とりあえず、二人は[沈黙図書館]には関係がない。わたしが自分が務めていた出版社を退社したのは二〇〇一年の暮れのことである。小川さんのこの小説が単行本発売されたとき、わたしはまだサラリーマンである。働いても働かなくても毎月、なにがしかの給料が振り込まれるという恵まれた環境にあった。じつはこの小説は、なんの屈託もなく夢中になって読書にふけることのできた、恵まれていた時代の最後の方で読んだ小説作品の一つになった。そのこともあるのだが、この作品はわたしがこの二〇年ほどのあいだに読んだもっともおもしろい小説だと思う。といううち、わたしはこういう小説が好きなのである。
 二〇〇二年の正月からフリーランスのもの書きになるのだが、フリーとは名ばかりで、とにかく、いきなり自由な読書の時間がとれなくなってしまった。本は昔と同じようにかなりの量、読んでいると思うが、どの本も必ず、その時に書いている原稿書きのための参考文献か、執筆予定のテーマのための資料探しのような心づもりで本を読んでいる、そんなことばかりである。
わたしは、二〇〇一年の正月だから、本当に正真正銘の二十一世紀の初めなのだが、小川さんの[沈黙博物館]を読んで、ウム、これからはほんとになにごとも沈黙の時代だなと思った。それで、その年の暮れに誰にもなにもいわず、キナさん(=木滑良久。当時はまだマガジンハウスの会長だった)にも相談せずに〝沈黙〟のまま会社を辞めたのである。
それはこの[沈黙博物館]のなかで小川さんが提唱している(その時のわたしにはそう思えた)沈黙の思想に大いに共感したからだった。それでは〝沈黙の思想〟とはいかなるものなのか。

沈黙本 帯 850

これがこの本の帯写真である。装幀は「らくだこぶ書房21世紀古書目録」などで知られるクラフト・エヴィング商会の吉田篤弘・吉田浩美。
この本に書かれている内容を四行に要約した文言がこういうもので、このコピーを読むだけでも、小川さんが考えた[沈黙]のコンセプトがある程度分かるというものだが、それをさらに説明すると、作品中にこういう文章がある。博物館への就職を希望する主人公の少年が博物館主たる老婆から就職試験の面接を受ける場面である。長文引用になる。
 
 カーテン越しにも日が傾きかけているのが分かった。風が強まってきたらしく、遠くで木立のざわめきが聞こえた。足下から立ち上がってくる冷えた空気が、沈黙にいっそうの密度を与えていた。
「お前が習得しておる博物館の定義について、述べてみよ」
(老婆の)入歯が外れそうになり、一段と勢いよく唾が飛び散った。
「はい」
 自分を感じのよい人間に見せようなどという努力が無意味なのは、もはや明らかだった。僕はただもう、頭に浮かんだままを喋ることにした。
「公衆に開かれ、社会とその発展に奉仕し、かつまた人間と環境との物的証拠に関する諸調査を行い、これらを獲得、保存、報告し、しかも研究・教育とレクリエーションを目的として陳列する、営利を目的としない恒常的な機関──です」
「ふん、つまらん。国際博物館評議会の概念規定を、暗唱しただけじゃないか」
老婆は喉をゼロゼロいわせ、一つくしゃみをしたあと、入歯を奥に押し込めた。
「いいか。そんなせせこましい定義など、すぐに忘れることじゃ。若い頃、世界中の博物館を観て回った。丸三日かけても歩ききれん巨大な国立博物館から、偏屈なじいさんが納屋を改装して作った農機具資料室まで、ありとあらゆる場所をな。しかし、一つとして私を満足させてはくれなかった。あんなもの、ただの物置にすぎん。叡智の神たちに捧げ物をしようという情熱が、かけらも見えん。私が目指しているのは、人間の存在を超越した博物館じゃ。何の変哲もないと思われるゴミ箱の腐った野菜屑にさえ、奇跡的な生の痕跡を見出す、この世の営みを根底から包み込むような……まあ、いくら説明したって無駄かもしれん。〝営利を目的としない恒常的な機関……〟などと抜かしておる者が相手ではな」

これが小川さんが考えた理想の博物館である。「人間の存在を超越した、何の変哲もないと思われるゴミ箱の腐った野菜屑にさえ、奇跡的な生の痕跡を見出す」、そういう博物館。それが沈黙博物館だ。
漫画で「沈黙の艦隊」があったり、アメリカのアクション映画の世界には〝沈黙の男優〟スティーブン・セガールがいたりするが、わたしにとっての純正の沈黙は、小川洋子さんの〝沈黙〟で、じつはわたしの沈黙図書館も小川さんの沈黙博物館のパクリなのである。しかし、集英社ではないが、わたしはこのことに関しては限りないパクリの情熱を保持していて、このあと、沈黙図書館だけでなく、沈黙写真館や沈黙資料館、最後は沈黙食堂まで作ってやろうと考えている。
ここのところまで、わたしは約三年半のあいだ、気ままに自分の都合に合わせてアメーバにブログを書いてきて、いろんな形の原稿を作って、みんなに読んでもらってきた。歴史に寄せた記事、タレントの話、事件の話、わたしの個人的なこと、雑誌編集にまつわる話、昔書いた小説、等々、わたしの心づもりとしては、書いた原稿の内容と読者のアクセス数との関係性をある程度、方程式みたいな形で解明できればと思って来たのだが、分かったのは、芸能人に関係したブログを書くとアクセスの数が増えるという、非常に素朴なことだけだった。なんの根拠もないのに、突然、スマフォのアクセスが一時間のあいだに五〇〇件とか集中するのである。これはわけが分からない。なにか法則性のようなものがあるのだろうか。
芸能人について書いた記事を読みたがっている人がいるのはよく分かった。
しかし、これはわたしのなかに、オレはもう芸能記者じゃないんだから、天地真理とか西城秀樹とか書いて、みんなのアクセスをもっと増やそう、などと考えないようにしなければいけないという気持ちがあり、いまは芸能のことを書くのはいい加減にしようと考えている。
 そういうことがもあって、一時中断していた長編小説『廃市』の連載を始めようと思っているのである。この小説について、その成立の経緯をほとんど説明していないが、これはいまから18年ほど前に、某〇冬舎の編集者に「小説を書いてみませんか」といわれて、勢いにまかせて書いたものである。けっきょく、わたしはこの作品ではなく、『KUROSAWA』というノンフィクションの三部作を河出書房新社から上梓して作家としての仕事を始め、『廃市』はいろいろあって、ボツ稿扱いにして、筐底深く隠し持ってきた不遇の小説だった。
この小説は、読みやすく改行して四六判体裁の版面を作ると800ページを越える厚さになる。そのこともあって、『ユリシーズ』の向こうを張って、改行なしで文章を書き進むという体裁をとった。これはわざとやったことで、できるだけ読みにくくして、根性のある読者にだけ面白さが伝わればよいと考えてこの形にしたものである。
これらの作業を持続することによって、わたしは純粋にわたしのブログの読者である[沈黙主義者たち]を確定させなければいけないと思いはじめている。[沈黙主義者]とはつまり、熱心な沈黙図書館の読者たちである。
それで、わたしが考えたのは、『廃市』の連載を継続しながら、それと交互の形で、『沈黙〇〇館』の展示・陳列物を説明していく、そういうローテーションを組むことだった。わたしには、母親譲りなのだが、奇妙な収集癖というか、捨てられない症候群ともいうべき、自分にしか本当の意味が分からないものを保存しようとする性癖があるのだ。この性向は沈黙〇〇館の学芸員、あるいは司書、書士として、仕事をしようとするときに,必ず役に立つはずである。
そんなことを考えて、連載小説と〝沈黙展示物〟〝沈黙蔵書〟〝沈黙資料〟〝沈黙写真〟と、わたしが所蔵している、説明しないとなんだこれはというような、わたしにだけしか意味の分からない沈黙の秘蔵物をみんなに見てもらおうと思う。いまのところこれを連載小説と日替わりで、やってみようと思っている。とにかく、芸能ネタを書かなければアクセス数がどんどん減っていくような読者からの支持のされ方ではしょうがないのである。自分のブログの読者を良質な、理解力の高い、感覚が柔軟な人たち人たちでそろえたいと考えるのは不遜な発想だろうか。
わたしの秘密のコレクションのなかには、マレーシアのジャングルでとった珍奇な蝶もあるし、子どものころ、当時はまだ下馬にあった明治薬科大学の校庭でほじくり出した縄文式土器のかけらもある。ロスアンゼルスで手に入れて、ひそかに日本に持ち込んだS&Wk38口径、いわゆるスナップノーズのディテクティブ・スペシャルと弾一箱もあるかも知れないし、天地真理ちゃンが書いてくれたサイン入り色紙もあるかも知れないし、十年前に死んでしまった百瀬博教と作りかけの途中で終わってしまった未完の写真集『不良美術館』の一部をお見せすることもあるかも知れない。15歳のときに好きだった女の子宛に書いたラブ・レターの下書きもとってあるし、83歳で死んだ親父の枕元から出てきた、彼が若く二枚目だった頃の軍服姿の写真もある。自宅でくつろぐ三島由紀夫の写真、相撲取り時代の力道山の写真アルバム、プロレスラーになる前の子ども時代の前田日明、女の子では天地真理、早瀬直美、児島みゆきなどの未発表写真や丸谷才一が講談社の〝宴会編集者〟と呼ばれた榎本昌治にあてた『横しぐれ』のサイン贈呈本もある。これらはすべて、巨大な歴史のかけら、氷山の海面に突出した部分として存在している。そして、わたしならこれらの展示物を、沈黙の存在として持っている大いなる裏面の歴史、生の痕跡を生そのものを超越した存在として語ることができる。沈黙について饒舌であることは、ちょっと自己矛盾みたいなところがあるのだが、人間的進歩や発展は自己矛盾の葛藤のなかにしか存在しなかったというのが、わたしの考えである。こういう考え方を、この後の[沈黙図書館]の運営方針にしていこうと思っている。この話はここまで。

この説明によって、あらためて沈黙主義者とは何かが説明できる。
わたしは沈黙主義者なのである。
先日のブログでちょっとふれたが、沈黙主義者の一定の掟は[言行一致]、
言うこととやることが矛盾していてはならない。
いつになるかわからないが、今度はそのことを書く。

Fin.


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