本の記憶。『新進傑作小説全集・横光利一集』
自分が文章修行で一番お世話になった本。
わたしが一番好きな作家は昭和の文豪・横光利一さん。
この本は文庫本サイズで、いわゆるフランス装丁という不思議な体裁の本。
中学校2年生の時、玉電中里の駅のそばの「時代屋」という古本屋の平台で10円で売りに出ていた。いまから56年前の話。子供のお小遣いで買える、汚れた古い裸本だった。
1929年7月発行 横光利一著 平凡社刊
古本屋にはこのほかにいろんな本が並んでいて、子供のくせに吉田弦二郎とか永井荷風、生田春月、ショーペンハウエルなども10円の平台にあり、わたしはそういう本も買って読んでいる。まだ14歳である。
買ってすぐこの本を読んだかどうかの記憶はないが、本当にこの本を読み直してショックを受けたのは大学一年になってから。文学というモノがどういうものか、ある程度分かり始めてからのことである。それで、そのころ、集中して横光の小説ばかり読んだ。文章を真似して原稿書きして、この人のおかげで、人並みの文章が書けるようになったようなモノである。なにかの拍子に手にとって読み返したのがきっかけだったのだが、まだ中学生の頃に買った一冊10円の本がそんな大きな役目を果たしてくれるとは思わなかった。
この本はいちおう大事に保存していたのだが、40歳ぐらいのときに蔵書を大事な本を除いて全部、売り払ったことがあり、そのとき、不覚にもこの本も手放してしまった。それで、その本を、いまから七、八年前になるだろうか、箱もカバーも完全な状態の古書を池袋の古本屋さんで五千円で売っているのを見つけた。
昔、10円で買った本をあらためて五千円で買うのもどうかと思ったが、本を手に取ったトタンに、昔、この本で経験したいろいろな思いが蘇って、どうしても買いたいと思ってこの本を買った。この本に載っているのは短編小説ばかりだが、この人の短い小説の佇まいは素晴らしい。横光さんは戦前の人だから無理もないのだが、生活のセンスも俗っぽいし、いったりやったりしていることも小林秀雄とかに比べるとたいしたことないのだが、とにかく、創作小説のなかの文章表現の輝きというか、言葉のきらめきは素晴らしい。
文学的才能のかたまりみたいな人だ。この本のなかにも迫力がある作品が並んでいる。
横光利一の本は単行本、全集も含めて、かなりの数持っている。並べて写真に撮ろうかと思ったが、自慢しているみたいで嫌みなので辞めておく。
前に紹介したが、『旅愁』などあれこれ6種類くらい持っている。横光さんの書いたもののなかで一番好きなな作品は『上海』。冒頭文章のヘッドラインハッスルもステキで、昭和の新感覚が色あせない。動感溢れるシャープな小説だと思う。
時折、読み返して、ゆるくなってしまいがちな自分の書き言葉の律動感を修正するのに使っている。横光利一が死んだのは昭和22年の12月で、オレが生まれた二カ月後。
オレと横光さんは二カ月だけ、人生が重なっている。 (終わり)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?