見出し画像

写真のおはなし:「楽しければいい」と「楽しいだけじゃイヤ」の間で

 カメラで写真を撮るとき、そのほとんどは撮ってすぐにプレビューで確認し、その時点で消す。なので毎回撮影に出かけても結果的に枚数が少ない。さらにtwitterにあげる時はその中からさらに厳選して「観てほしい」写真を載せるわけで、そうするといわゆる「納得して撮れた」写真なんてものはごく僅かしかない。多分枚数的には先代GR2の頃から合わせて6〜7000枚くらいは撮っていると思う。カメラを始めて3年目だけど、この枚数が多いのか少ないのかはよくわからないが、たくさん撮りたいなあとはいつも思っていて、それでも毎回手元に残るのは10枚くらい、そういう撮り方をずっとしている。

 以前「撮ってもほとんど消してしまう」という話をした時、友人に「そうやって撮った写真をきちんと見もせず、いい写真かどうかをその場で判断できる目があるわけでもない、もしかしたら奇跡のような一枚があったかもしれないのに、あなたはその機会を自分から捨てていくのか」と非難されたことがある。正しい意見だと思う。SDカード自体は十分な容量を持っていて、枚数だっていっぱいになることはほとんどない。とにかく撮るだけ撮って、あとでPCで拡大でもして確認すればいいし、構図がまずければトリミングすればいい。lightroomだってある。

 全く正しい意見だ。

 でもたぶん自分はこの撮り方をやめない。小説を書いていた頃の書いては消し、消しては書き、の癖なのかただの(自分の出来る限りでの)完璧主義なのかはわからないが、とにかくたくさん撮ってあとで取捨選択、というスタイルにはこの先もならないだろうなと思う。

 「楽しければいいよね」という言葉がある。いい言葉だと思うし、自分もそうだ。写真にしても別にプロになりたいわけじゃない、自分が納得する写真を追いかけているだけで、その先に何があるわけでもない。

 その人が楽しめたら、それが一番いい。言い方が悪いけど、マスに訴えるには耳触りの良い言葉だと思う。全く嫌いではない。それが一番だ。

 ただ俺の場合「楽しければいい」という理由だけでカメラに12万払うかというと、それは違うなと感じる。要するに自分のやり方を通して、その結果手に入るか入らないかわからない「自分がいいと思ういい写真」を求めているわけで、その中に「撮ったその場で違うな、と思う写真は全て消す」が含まれているのだと思う。すごくエゴイスティックな話だ。

 「楽しければいいよね」は一般的だけど、その中の「楽しい」には個別性が潜んでいる。きっと自分がカメラを持つ時「楽しければいい」だけじゃイヤ、なところがどこかにあるのだと思う。

 もうひとつGRを持ってからずーっと思っている「写真はどこまで改竄できるのか」という問題があるのだけど、それはまた別の時に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?