見出し画像

「みえるもののむこう」展:神奈川県近代美術館

写真について、
インスタレーション:写真とスライド、メモ書き、ノート
文章と組み合わせた日常の風景、ポリティカル、自己から国家までの包括的なアプローチ

きっとその場で見て、感じたことは写真で伝えることはできなくても、そのとき感じた思いが完全に消えてなくなってしまうわけじゃない
「とても細く、頼りなく、でも確実に繋がっている」
であれば、写真を撮る、撮り続けるという行為に意味が生まれる

余白と感情

生まれた思いは自分の中にあるのでも、その場所にあるのでもなくて、自分と場所の間に石ころのように置いてあるのではないか
自分が変化すれば思いも変化する、してしまうもの

絵画について、
パステル画+水彩色鉛筆、風景の概念、美しい色彩と心地の良い色との組み合わせ、色の濃さ、線の強弱
世界を知覚し、自分と地続きであることを思う
獲得したての知覚、その瑞々しさを翻訳する行為
自分と世界とが同じ場所にいることを意識するための表現
キャンバスは戻らない時間のことで、その時思ったことを封じ込め、描くことで外部に浮き上がらせ伝えるために書き留めておくもの


 みたいなことをそれぞれの作家さんが寄稿していて(とても良い文章ばかりです)、その文章をとっておきたいがために図録を買おうかと思ってしまった(結局我慢してコーヒー豆を買った)。


 すべての表現は祈りなので(約束もない、価値もない、未来もない、保証をしない、それでも、という祈り)、それがどんなものであれ、どういった形であれ「儚さと美しさ」を内包していると思っている。あとは自分自身がこういう概念曼荼羅、内省した小宇宙みたいなものを好む傾向にあるので(意味は自分で見つけて秘密の宝箱に入れて持ち帰るタイプの展示)小さな展示で30分もせず観て回ってしまったがとても刺激になった。スナップ写真やメモ書き、日常の様々な欠片を寄せ集めて、一つの哲学の元に作品として昇華させていく過程、行為、地道な蓄積と繰り返しが必要なその作品群。
 表現者は自分の傍にスタンドのごとく自分の作品を置いて、作品を通して世界に触れる、他者との交通を得る。それは生きるための手段のようなもので、いいも悪いもない(もちろん評価は受けるわけだけど)。

 帰り道にお花屋さんでヒマワリとケイトウを買って、部屋に飾った。
 夏と秋が介在する矛盾した部屋になったけど、なかなか素敵だなあと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?