小説を書いていた頃のはなし

 昔、小説を書くのが好きで、自分はそれなりにちゃんとしたものを書いている、と思っていたことがあります。
 今でも恥ずかしながらPCの奥に大事にしまってあって、時折眺めては「結局何者にもなれなかったなあ」と思う、まあ一般的にはよくある話だと思うのですがその時は自分を作家崩れのように思っていましたし、そういう自分自身にもしっとりした不健康な満足感を感じていました。

 今ではSNSを眺めるだけで、たくさんの人のたくさんの物語を眺めることができます。それは小説だったり、日記だったり、雑想だったり、詩だったりといろいろです。それらを眺めるにつけ、「ああ、自分は完全にあの頃に取り残されたままなのだなあ」と思うようになりました。継続は力なりというわけではありませんが続けていなかったことをさも得意げに、おそらくは上から目線で「小説なら少々嗜んでまして…」などと嘯いていたことが今、とても貧しく感じられます。

 思えばここ10数年、長いお話を書いたことはありません。「作家に必要なのは体力である」と仰った方がいましたがまさにその通りで、自分が「他者に伝えたいこと」を精査し、言葉の組み合わせの中から自分の音を奏で、ある物語を完結させる、それにはテーマに対して向き合う体力が必要で、大抵は途中で投げ出してしまうか、テンションが落ちてしまうものです。(プロ・アマ問わず)

 ツイッターでは人間同士の関係性や距離感の話をよくするのですが、伸びたツイートほど割と推敲を経ていることが多い気がします。(たまにインプロヴィゼーションのような一発書きの言葉がたくさんの支持を得ることもありますが)

 いつものようにご飯を食べて、お酒を飲んで、切った髪の毛からはパーマ液のにおいがして、音楽を聴きながら少し眠って、娘からのlineで起こされて、なんとなくまた長いお話を書いてみたいなと思いました。

 思いつき行動甚だしくありますが、しばらくこうやってリハビリのように言葉を連ねていって、何か物語のようなものをかけたらいいなあと思っています。


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