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#37 クロース・トゥ・マインド的世界

  きょう、機会があって、アメリカ文学を訳す、という柴田元幸先生の講演をzoomで聞くことができた。私は彼の文体しか知らなかった。翻訳家として、文章を紡いでくださる彼のテクストと私は深く通じ合うものを感じていた。この内容についてはまたいつか書こう。今回はその「オンライン」のコミュニケーションで気づいたことを。

 以前の世界で普通に生活していたらなかった接点で、私はその講演で肉声を聴き、知見を得た。でもこれは、インターネットに以前から仮託された一つの可能性の一つであったが、世界の状況によっていま実際に、「オンラインミーティング」が流行っている。

 オンラインミーティングはたしかに、普段つながりえないところの可能性をもたらしてくれるが、深いつながりを生むことは極めて少ないだろう。有機的な、対面コミュニケーションを失い、人間関係が構築できなくなって鬱になる学生の話もあるように、それは時に一歩的で、孤独を痛感させるモニターにすぎない時もある。一面的に賛美できることではないのだ。ビデオ会議は、社会の急転に対応する応急であり次善の策であると言える。

 でも、こうしてオンラインの繋がりを社会が経験したことは、必ず次のステップに生きる。不便を経験することで、人は便利さを痛感するように、コミュニケーションの有機性は、リアルタイムで作用し合う人の表情、発言、温度、アンダートーンみたいなところにあるのだ。コミュニケーションのこころみたいなものを、わたしたちはこうしてみつめなおすことができるのだ。それは、死に瀕すれば生のありがたみを感じる、みたいな極端で暴力的な理論だけれど、それはかぎりなく真実と云えないだろうか。

 以前のような、という紋切型が生まれつつあるような気がする。しかしそれはきっとかなわない。これからの世界を志向すること。これからのコミュニケーション。それはきっと、いままでになくあったかくて、今までになく深まるものになるだろう。リモートの身体的隔絶、しかし、心は近く、傍に置いている。クロース・トゥ・マインドな世界に生きよう。