ロンドン

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祖母と死者のシンボル

 祖母は私に繰り返し同じ話をする。 「祖父が庭の池に落ちて溺れ、2日生死をさまよった。昔は庭に底なしの池があり、足を滑らせ溺れた。そのとき二階にある<縄・札>一晩中お経を唱えた。その結果、祖父は助かった。」  私はこの話を二階の<縄・札>がある場所でお経交じりに聞いた。以降私はその部屋が怖くなり、近づくことが出来なくなった。大人になっても近づくことが出来ない。何もないのが当たり前であるが、何かがあると強く感じてしまう。

    • 死者への祈りと罰当たり

       祖母の家は静岡の田舎であり、大学キャンパスほどの敷地を持っている。  祖母は現代とは異なる価値観であり、死者を丁重に扱う人であった。現代では制の場所は分娩室に限られ、死はたまにある葬儀のみ、現代の若者は死と触れ合うことがない。  祖母の家では、起床後、食事後、就寝前の5回、お供え物と線香とお経があった。幼い私はただただそれが恐怖であった。祖母はお供えのたびに「この人はね、私と疎開中に栄養失調で死んでしまったの。この人はね、池で溺れて死んじゃったの。」と語っていた。  

      • 就職活動とenvy

         ある学生は内定を取れずに、神秘的な何かが彼を面接から落としていると考えていた。  彼の状況は他の似たような学生と比べて、例外的存在であり、想定外の事態で、他人でもありうることだった。他人は受かっているのに私だけ、通常なら受かるはずなのになぜか、私だけが落ちている。不可解であり、努力ではどうにもならないこの状況を彼は誰かの呪術によるものだと考えた。ある原因からある結果が出せるはずなのに、私が落ちなくてもよかったのに、数ある就活生からなぜか私が落とされる。これは神秘の力だと考

        • 神に至る方法

           個人の中で真理を探る場合、その真理に達することはないだろう。通常であれば真理を探ることもなく死んでいくか、自分の中で真理を見つけたと満足する場合が殆どだ。絶対に正しいということは存在せず、見つけた真理に対して違う真理を探し、内的矛盾を起こし、精神が崩壊する。どちらの意見にも正しい点があると真に自分を信じているというならばそれは天才か狂人である。  通常人間はある枠内に収まっている。黒丸を常人、白丸を狂人とする。この枠から”上”に突き出た存在は天才と呼ばれる。通常の人間であ

        祖母と死者のシンボル

          幸せとは

          幸せとは幸せではないものがない状態のことを指す 人は全員が自由である 自由とは何にも縛られていない状態であり、無限である 人は自由であるために無限を求めて生きている 絶望とは死に至る病であり、絶望している状態とは希望がない状態である 希望がある状態とはやりたいこと、自分が目指すべき姿がある状態である 目指すべき姿とは自由であり、無限でありそれを定義されることはできない 絶望の第一段階として、自らの希望がないことに気づくことにある 第二段階として、失敗を繰り返すことで希望がこれ

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          幸せとは

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