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悩んでること自体がいつか誰かの役に立つ

平気な振りをして生きてきた

いつも無理をしているのが当たり前だから、どこからが本当に無理なのかがわからない。

嫌な気持ちになっても寝たら忘れて、明日の朝にはリセットして、また気持ちの良い1日になるはず(そうしなければならない)…と縛られてるからなのか、ぐるぐる考えが止まらなくなって寝付けない。そして、寝不足になって全然気持ち良くない1日を過ごす。

疲れてるのに、疲れてない振りをして、誰かのために動き回る。気づいた時には身体が悲鳴をあげていて、泥のように眠ったり、涙を流して訴えてみたり。

素敵な未来を思い描いて、キラキラわくわくしてみるけど、今現在の自分を正視できず、理想と現実のギャップも見ないようにして生きている。

今思うと、そんな風に生きてきた。

今悩んでいるということが、誰かの役に立つかもしれない

悩んで悩んで、そのことから解放されたり、楽になった経験があると、その悩みについて語る資格がある、と教えてもらった。

「そうか。悩んでいること自体は悪いことじゃないのか。」

ほら出た。良い or 悪いの白黒思考。

悩んでいる=悪い状態。と思い込んで、悩んでいない振りをしていた。

「そうか。悩んでいてもいいのか。」

そう思えると、「私、悩んでたんだ!」と受け止められた。

悩んでいる自分を受け止めて、悩みを味わい尽くして、心が軽くなったら、きっと誰かの役に立つ。

どんどん負の感情を感じられるようになった

「悩んでる私でいいんだ。」に気づいたら、どんどん嫌な記憶が戻ってきた。

おおっ。私、怒ってるな。傷ついて、悲しくなって、人を嫌いになって。
でも、そんな私でいいんだ。そんな私だからいいのかも。

ぼーっとしていたら、小さい時から抱えている、「私を見てほしい。私を選んでほしい。」気持ちが根深いのが感じられる。

そして、小学校や中学校のときに自分に課した縛りにも気づく。
大人になる階段をのぼるたびに、新しい縛りを加えていった。
社会人として不適格の印を押され、自分に自信を失くしながらも必死にしがみついていた。

もう少し複雑な気持ちにも気がついた

ふと、あれ?めちゃくちゃ我慢もしてきたけど、あんまり我慢してないことも多かったかも?と気づく。

我慢してなかった自分に、よくやった!と言ってあげたい。
きっと我慢ばっかりだったら、自分を完全に失くしていたと思うから。

その一方で、我慢しなかった自分を責めている部分も、少なからずあったと思う。

「自分だけ楽してごめんなさい。」
「我慢しなかった分、つらいことがあってもしょうがない。」

ただ単に怒っている自分、嫌な気持ちを感じている自分だけではない、もう少し複雑な感情もあるようなので、もう少しその感情を味わって、そんな自分を優しく労わってあげたいと思う。

全部、まるっと肯定できたら、穏やかな気持ちになれるんだろうな。

これからどんな感情が出てくるのか

今はまだ、蓋をしていた負の感情を味わっている。
これを味わい尽くしたら、どんな感情が待ち受けているのだろう。

自分のペースで自分と向き合う時ですね、と言ってもらった。
自分としっかり向き合った後の人が見ている世界は、一体どんなものなんだろう。

早くその世界を見てみたい!とはやる気持ちを抑えながらも、自分には見えていない世界があることを知ったことが、とても大きい一歩だと感じている。

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