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新しい出会いに体がこわばる

新年度が始まって2週間が経って、だいぶ新しい状況に慣れてきたように思う。

次女が小学校に入学し、4月1日から学童に通い始め、今週から学校も本格的に始まった。新しい環境にもスルッとなじみ、元気いっぱい一輪車に乗る練習をしている次女。

私の職場でも、人事異動が激しく、自分の業務について決定権を持つ人たちが一気に変わった。

今まで当たり前と思ってやってきたことを、一つ一つ説明する必要があるし、どういう判断基準で決められてきたかを、改めて意識する機会になった。今まで知らないこと、わからないことは聞けばいいや、と思っていたけど、一緒に考えるネタ出しを常にしているような気分。

どっと疲れが出ているのだけれど、ちょっと落ち着いてきたら、自分が異様ともいえる「恐怖心」をもって新年度を過ごしていると気がついた。

私が怖いもの、それは「職場での新しい人との出会い」だと思う。


新しい出会いと拒絶への恐れ

人との出会いが怖いのは、昔から定期的に人から拒絶されることがあるからだと思う。

しかも、わりと激しい拒否感を突き付けられる。

どうも、私の存在が、誰かの「当たり前」や「常識」を大きく飛び越えてしまうらしい。たぶん、誰かの「努力」や「勤勉さ」を水の泡にしてしまう、そんな感覚を与えてしまうらしい。

努力もせずに、のうのうとしているように見えるらしい。実際、そうなのかもしれない。

今まで生きてきた中で、ちょくちょく「ありえない」「信じられない」「もっと努力しないとダメ」「コツコツ頑張るのは大事」と言われるように思う。

今までnoteで書いてきたことで、その事実を認識できるようになった。

たぶん、その言葉を口にした人たちも、悪気があって言ってる人は少なくて。自分の心を守るため、とか、本能的に反発してしまって、とか、なんだと思う。

新しい出会いがあると、「また拒否感を突き付けられるかもしれない」と、ついつい身構えてしまう。体中をこわばらせてしまう。

職場で新しく人と出会うのが怖い

職場の上司、同僚として新しい人が入ってくるのは、すごく怖い。毎日顔を合わせる人に拒否感を突き付けられてしまったら、仕事に行くのが嫌になってしまう。

年を重ねるごとに、慎重になっていってる気がする。

前はもっと気にならなかった。新しい出会いは、どちらかというとワクワクするものだった。でも、何も気にしなかったことで、自分に突き付けられる反動も大きかったと思う。

最近の私は、慎重になり過ぎるぐらいでスタートして、様子を見るようになったと思う。気を遣う分、疲れるけど、誰かの防衛本能を刺激しないで済んでいるのかもしれない。

とりあえず、今の職場で拒絶してくる人は、いないように思う。めちゃくちゃほっとしている。

「ご近所さん」も怖い

戸建てに引っ越して、ご近所さんが固定されるのも怖かった。

いえ、ご近所さんたちは、とても良い方たちなんです。ただ、私が怖がっているんです。ご近所さんに拒絶されたくないんです。

結局、「拒絶されるんじゃないか」とか、「あの人、あのうちはヤバい」みたいな見られ方が怖いんだな、と思う。

「嫌われたら社会生活が送れない」という思い込みが、そこにあるんだな、と思う。

これが関係が固定されない相手だったら、そこまで怖くないのかもしれない。

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