「できない人認定」との戦い②生ぬるい私でありがとう
人のこと
誰かが誰かのことを「できない認定」してるのを目にしたり、耳にしたりして、モーレツに腹が立ってしまう。
その人の良さを引き出せてないのは、そのまわりの人だ!!と言いたくなる。そんなのは甘えだ!って答えが返ってきそうだけど。
私は生ぬるいのかなぁ、と思う。
でも、みんなが同じことを求められて、同じような反応を示さなければならない時代は、過ぎ去っていってるように思う。前にならえとか、命令は絶対だ!みたいなことを、全員に当てはめるのは、もう違うように感じる。
もちろん、生死に関わることとか、余計なものを間にはさんではいけないことはあると思う。そういった世界で生き抜いている人たちには感謝しかない。
あと、尻拭いをしないといけない人たちの怒りは、ごもっともだと思う。でも、それすらも、本当に全部を拭わないといけないのか、せめて尻拭いを減らす方向に動かないだろうかと思う。
本人を攻撃して、さらに拭うものを増やしてはないだろうか、と問いかけてみたくはなる。
やっぱり私は生ぬるいのだろうな。
生ぬるい私でいられる今の環境に感謝しとこう。
沼の底上げをはかる
最近、職場で、まわりからの目も厳しくなって、貼られたレッテルでさらに身動きが取れなくなってしまってて、もう頭も回らなくなってるな、これ、という状況に遭遇した。
その人が言うことも、ズレていってしまってて、私も困ったなぁという状況。
絶対に、追い討ちをかけるようなことはしたくないと思った。私は「できない認定」に縛られたくない。
私の立場で言うことではなかったけど、今しないといけないことを整理し、その通りにやればいいところまで分解して伝えた。
頭が回らなくなってしまって、息もできなくなってしまった、あの頃の自分を包み込む気持ちで。
その後、無事に淡々と仕事をこなしているその人とやり取りをして、とりあえず、泥沼にはまらなくてよかった、と思った。
これは戦ってるというのとは、ちょっと違うのかな。対立したいわけじゃない。ただ、できる・できないで分断されてる世界が悲しくて。いいやん、みんながそれぞれ、やれることやったら。ありがとうでいいやん、て。
やっぱり生ぬるいな、私!ありがとう!
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