ハッピーでなくていい
「ハッピーでなくてもいい」自分を味わっている。今まで、本当にこのハッピーの鎖(思い込み)に縛られていたことを実感する。
「ハッピーでなければならない」のが手放せたら、今まで自分が120%頑張ろうとしていたことが見えるようになった。
「ハッピーでないと」と、自分を奮い立たせて、ハッピーな自分を目指して頑張り続けてしまう。残念ながら「ハッピー」な心持ちまで行け着けることの方が少ないのに。
そして、「ハッピーでいられない自分」に絶望し、悲しんだり、怒ったりしてしまう。
「ハッピー」という言い方なのは、「上機嫌」とか、「幸せ」とか、「満たされている」とか、「笑顔でいられる」とか、そういったものを一言で表しにくいから。「ハッピー」がカタカナなのは、ちょっと違和感あるけれど。
ハッピーでいるために無理をしていた
ハッピーでいるために、常に無理をしている状態だったと思う。前から、常にちょっとずつ無理をしているのが当たり前で、「無理しない」ことがわからない、と感じていた。
「無理しないで」って言われても、そんなの無理!と思ってしまう。無理しないと、生きていけない。
それが、何のために無理をしているのか、思い付きもしなかったけど、「ハッピーで生きていくには、常に無理していないといけない」ということだったのかもしれない。
「恵まれた状況なのだから、ハッピーでなければならない」という鎖とも言えるかもしれない。ハッピーでなければ、罪悪感に苛まれなければならない。
「ハッピーでなくていい」私
朝起きたら、機嫌悪くてもいい。爽やかな朝を迎えて、夫や子供に笑顔を振りまかなくてもいい。
元気に通勤しなくてもいい。眠たいままでもいい。戦闘態勢に入ってなくてもいい。
コーヒー淹れたのに、呼び出されて冷めてしまってもいい。イライラしてる人を放っておいてもいい。自分もイライラしててもいい。集中してるときに話しかけられて無愛想になってもいい。後で何をしていたのか説明するのでいい。
お腹が空いていてもいい。ぐっすり眠れなくてもいい。
ただそこに居る
この鎖を外す直前は、機嫌よくいられない自分にイライラして、人に八つ当たりをするという、悪循環に陥ってしまっていた。
ハッピーじゃなくていい、と思えると、急に心に余裕が出た。よくわからない必死さが和らいだように思う。今まで、何者かにならないといけないと焦りを感じてたことも、要らなくなった。
「ただ、そこに居るだけでいい。」
やっと、そう感じられるようになってきた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?