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学校が苦手な大人の私

長女だけでなく次女も小学生になって、小学校に関わる機会が増えた。

もともと、去年PTA役員をやって、学校に行くことが一気に増えた。先生と話す機会も。

そして今年、久しぶりに学童との関わりが出てきて、PTAの関わりも細く続いている。

やっと、いろいろ落ち着いてきて思うのは、私は学校が苦手だ、ということ。学校に行くだけで、ものすごく疲れる。学校の先生と話すのも、別に嫌じゃないし、必要なこともあるし、ありがたいことも大いにあるけど、どうしても疲れてしまう。なんだろう。なんか緊張するのかな。

たぶん、学校社会に適応しなければ!というプレッシャーを身体が覚えているのだと思う。ルールを守らなければならないし、みんな仲良くしなければならない。人に優しくいなければならないし、先生の言うことを聞かなければならない。たくさんの「ねばならない」を思い出すたびに、身体がぎゅっと縮まる思いがする。

それは、本来の自分そのままではこの社会に適応できないんだ、という否定を、静かに刷り込んでいったということなのかもしれない。

もちろん、学校で学ぶこと、社会性を身につけることは、その後の人生に必要なことだと思うし、学校に通えることは素晴らしいことなのかもしれない。
(※教育を受けられない子どもたちが、まだまだ世界には多くいるという意味で)

ただ、自分が過剰に適応しようとしてしまって。自分が本当に感じていることを感じないようにして、生活してしまってたかもしれない。そのことが私を苦しくさせるのかもしれない。

親同士で話すのも、わりと疲れる。いろんな家族がいて、当たり前が違っていて。相手にどう思われるだろう、と要らぬ心配もしてしまう。

単純に人がいっぱいいる場所が苦手というのもある。いろんな音があふれていて、いろんな人の思惑があふれている。いちいち、いろんな人に同調してしまって、あっという間に自分を見失う。

でも、いろんな人やものの動きを観察せずにはいられない。誰が何のためにどんな動きをしているのか。気になったり、気にならなかったり。

とりあえず、自分が学校が苦手だ、ということを認識していよう。

子どもたちが何か感じたときに、私の話ができるように。

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